山開けて 雲晴れ見ゆる 浅間山 〜浅間山八景4〜

昨晩、珍しく雪が舞った。春とは言えまだ二月、雪が降るのはおかしくもないのに、珍しく、と言ってしまうくらい、この冬は雪が少なかった。
舞った雪は、朝の日差しにすぐに消え、日陰の雪も、残り雪なのか昨晩の積雪なのか、区別がつかない。

天気予報では雪マークだったが、全国版では長野市が基準になっているのだろう、佐久地方は青空が占める割合が大きい。
山の峰に雲がまとわりついているくらいで、今のところ雪になりそうな気配はない。
特に浅間山がある方向に何故か雲が多いように見えるけど、浅間山の裾野から蓼科方面に向かう緩やかな斜面が開けているからだろう。

佐久平を流れる風は西風が多く、雲を東へと運んで行く。
浅間山にまとわりついた雲も東へ流れているが、高峰、湯の丸の方まで連なっていて途切れず、浅間山の姿を現させない。

その浅間山も、仕事が一区切りつく頃には姿を現した。
噴煙も少なく、穏やかな表情だ。
僕は今日最後の訪問先を終えると、浅間山八景のどれかに行ってみようと思った。

御代田町には、浅間山をベストに望める場所として、御代田町商工会が認定した『浅間山八景(浅間八景)』というのがある。
今まで浅間山八景には、第一番、第二番、第三番、第八番の四ヶ所を訪れてみた。それらは広い御代田町内の各所に点在していて、それぞれ違った表情の浅間山を望む事が出来る。

浅間山八景第一番
浅間山八景第二番
浅間山八景第三番
浅間山八景第八番

佐久から御代田に向かう。
この県道は佐久から軽井沢に抜けるのによく通る県道だ。何たって国道に出なくても済む。
平尾からしばらく行くと、『浅間山八景第三番』のふるさと大橋に出る。道沿いの右手の山肌に白い筋を作っているのは、北パラダスキー場だ。白いゲレンデに色とりどりのウェアを着たスキーヤーやボーダーの姿が、平日にもかかわらずある。
この冬は雪不足なんだろう。人工降雪機が稼動していた。
この辺りの左手は開けているから、浅間山が良く見える。北パラダスキー場は、浅間山を真向かいに見ながら滑り降りていく、ロケーションの良いスキー場だ。

道はしばらく木々に囲まれた中を行く。ここは昔からの道なのか、道祖神、たぶん不動明王?があった。車を降りて確認してみると寛政二年のものらしい。木々の間から浅間山がチラ見出来る。

しばらく道なりに行くと豊昇地区だ。トンネルの手前に案内板があった。長倉の道とか書いてある。古道らしい。
再び車を停め、案内板に目を通した。なかなか興味深いもので、一文字一文字じっくり読んでみたかったが、流し読みだ。何たって寒い。
(暖かくなったら来てみよう)そう思いながら、暖房で暖かい車の中に飛び込んだ。
トンネルの手前から右折した坂を上っていくと、すぐに『浅間山八景第四番』の成穏寺に着く。途中由緒のありそうな神社があったが、それも(暖かくなったら)ゆっくり見てみよう。





参拝者の駐車場に車を停める。不動明王が鎮座している左手に、小さな坂道がある。
(こっちだな)と見当をつけ上っていくと、『浅間山八景第四番』の標柱が建っていた。
この場所は四方が開けていない。小山の斜面の小さな境内で、ほぼ三方が山か森だ。
浅間山八景を紹介しているHPやブログでは全く同じ写真、必ず本堂の屋根が写し込まれているが、それは必ずしも構図としてわざわざ配置しているわけでもないのだった。ここに立ってみて、
(なるほど…)と、その理由がわかった。それは、この位置でしか浅間山が見えないのだ。右にずれても左にずれても、手前の風景が浅間山に被ってしまう。
左に本堂の屋根、右に木。その間を通して、浅間山を望む。この位置がベストポジションなのである。

浅間山八景の、八つのうちの五つ目を制覇したという、ほんのちっぽけな満足感と、また違う浅間山の表情を見た満足感を胸に、僕は小さな坂道を下りて行った。

山開けて 雲晴れ見ゆる 浅間山

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2009年02月20日 Posted by Le musicastre at 00:16Comments(0)御代田

山肌の 雪形狭まる 浅間山 〜浅間山八景3〜

佐久から御代田に向かう途中、ふるさと大橋がある。佐久〜御代田間のこのルートは、佐久のエリアを回った後、たまに帰路として通る。

春らしい天気が続くと、強ばった身体もノビノビしてくるかと思ったけど、かえってだらけてきそうだ。僕は一息つく事にした。
天上に雲ひとつないが、柔らかな青空の色は周辺に見渡せる山々に近くなってくると白みをおび、透き通った白い沈殿物が溜まっているかのように、裾野が霞んで見える。
(霞か雲か〜)と童謡らしい一節が浮かんでくるが、その後の歌詞も歌も続かない。
(何だっけ?)と思い起こそうとしても、その歌の頭だけがリフレインするばかりだ。
結局僕は続きを諦めて、青空を背景にした浅間山を眺めた。
わずかばかりの噴煙は東になびき、そう長い筋を作らないうちに、空に溶け込んでいく。
一見平穏そうに見えるが、噴火警戒レベルはまだ引き下げられていないから、まだまだ注意が必要なのだろう。





車が一台、橋の方から走って来た。
(おや、曲がるのかな?)こちらに曲がるには、停めてある僕の車が邪魔になりそうだ。
僕が車を移動させようとすると、運転者は手を挙げた。どうやら曲がるのではなさそうだ。
その車の行方に注意していると、僕の車の後ろに停め、運転者は手にカメラを持って降りてきた。
(なるほど)と僕は思った。
浅間山を撮るのだ。ここは『浅間山八景』に選ばれている場所なのである。
その人は何枚か写真に収め、去って行った。
僕もカメラを取り出した。その人の一眼レフとは比べ物にならないが、ケータイのカメラである。
(ベストショットは、カメラは関係ないだろう)妙に張り合いながら、ケータイを浅間山に向けた。

浅間山から東の方へ45度いった空には、正午を過ぎてから昇った月齢10の月が、白い姿を見せていた。


さて、月は神秘的な力があると言われる。月の満ち欠けが、地球や人体に何らかの影響を及ぼすらしい。
月の満ち欠けが、例えば潮の満ち干きを引き起こしているという事は科学だが、人の行動まで影響を及ぼすというのは非科学であろう。
しかし僕は、その非科学の領域に興味を覚えるのだ。

月は満ち欠けによって、八つの領域に分けられる。その領域それぞれに暗示がある。
その暗示に従って行動する事で、物事がうまく進むのである。
嘘か真か、それを実践してみるのも一興だ。
どうせ平々凡々と暮らしているのだから。

じゃあさっそく月の暗示をみてみよう。
月の月齢を調べてみる。
(えっと…、なになに…、今は反省域か)

迷いや疑問が生れたら、ほっとかないでよく考えてみる。
仕事でも何でも、よく考えた上での行動をすれば、良い結果がもたらされる、らしい。

(なぁ〜んだ、すごく当たり前の事じゃないか)と思う。
しかし、すごく当たり前の事を当たり前だと気付かせてくれた事は大きい。
占いというのは、運命を占ったり、良し悪しを占ったり、その結果一喜一憂するものではない。
ふだん僕たちが気付かないでいる当たり前の事を、気付かせてくれるものなのだ。

(よくよく考えて行動してみるか)と、明日の仕事を思った。

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2009年02月07日 Posted by Le musicastre at 01:08Comments(2)御代田

野仏の 顔穏やかに 春の風 〜浅間山八景の道祖神〜

暦の上では、今日から立夏の前日までが春だ。
春の第一日目に相応しい、良く晴れた穏やかな日になった。

立春は二十四節気のひとつで、この二十四節気は、春分点を起点とした黄道360度を15度づつに分け、度数ごとに割り振りられたものだ。
立春などそれぞれの言葉に風情を感じるけど、太陽黄経315度と言ってしまうと味気ない。
僕はこのブログにもカテゴリーを設けてるくらい西洋占星術が好きだが、黄道を分けるというのは西洋占星術の12星座に分けるのに似ていて面白く思う。

ところで、東洋の占いというと五行陰陽十干十二支が元になっているけど、東洋にも西洋占星術のホロスコープに似たものがある事を知り、最近興味を持った。
日本の暦を見ると、一日ごとに「角」とか「房」とかが六曜と一緒に書かれている。この「角」とかを二十八宿という。
太陽を中心とする西洋占星術(実は西洋占星術において太陽での占いは30パーセントくらいの事しか明らかにしない。だから何々座とかの生まれ月の星占いはあまり確かなものではないと言える)は太陽の通り道(黄道)を12に分け星座を割り当てたが、二十八宿は月の通り道(白道)を28に分けたものである。
立春のこの日の二十八宿は「箕」だ(暦の説明をみると「普請造作吉他は凶」となっている)。「箕」は射手座に属する二等星で、このように二十八宿は、それぞれ星座の中の星を指す。
実のところ、東洋占星術は詳しくないので、説明はここまでにしておきたいが、東洋にもホロスコープがあったとは驚きだった。

青空に薄い筋のような雲が流れている。車窓から流れ込んでくる風以外は凪だ。
浅間山は時々白い煙を吐き出しているが、天辺に滞って、そのまま水蒸気のように消えていく。
噴火の予兆はないようだけど、まだ予断は許されない。『浅間はことに活火山〜』(信濃の国より)なのだ。



中山道から分かれた北国街道を行く。
この街道は、幕府の天領佐渡から産出する金銀を江戸へ運ぶ為に整備されたらしい。また、加賀前田家の参勤交代の道であった為、加賀みちとも呼ばれた。
日本海側と太平洋側の人や物資の流通路として重要な道だったようだ。
北国街道はさらに、真楽寺道を分ける。真楽寺道は北国街道の脇道だ。
道は道を、木の枝のように広げていく。
真楽寺道は、小諸宿で再び北国街道と出会う。

真楽寺道は、真楽寺付近で浅間山が美しく見える。
この場所は、御代田町の指定する『浅間山八景』に選ばれているが、それも納得出来る。

追分から来て、真楽寺参道に入る道を少し過ぎると鳥居がある。
そこには馬頭観音など数体の道祖神が並んでいた。
鳥居はあるが社がない。車を降り、鳥居を正面から見ると、百メートルほど先の方に鳥居があり社があった。
そこに向かう田んぼの畦道を行く。
(何か羽織って行くかな)と思ったが、立春の日の日差しはその思いを却下させた。
肌に直接当たる空気は少し冷たいが、田園風景の中を歩いているうちには、それも程よくなってくる。

  

社は二本の大木に挟まれ、周り約半分を小さな竹林が覆っていた。
鳥居には神社の名称はなかったが、社の中を覗くと祠が二つあって、狐の置物があった。どうやら稲荷神社らしい。

田んぼが広がる緩やかな斜面がずっと続いている。
遠くの方に霞んでいる蓼科山系を見ながら、
(ああ、春だなぁ)と思った。

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2009年02月05日 Posted by Le musicastre at 00:28Comments(2)御代田

ウィスキーの 香り漂う 庭歩く 〜浅間山八景8〜

文化の日。
午後になって晴れてきたので、御代田町のメルシャン軽井沢美術館に行った。
駐車場には県外ナンバーの車が意外と多い。ここは案外知名度が高いのだろう。

 

美術館では、名前の知らない建築家の展示が行われていたけど、僕にはさっぱりで、敷地内にある蒸留所から漂ってくるウィスキーの香りに心惹かれた。

なので蒸留所の見学をして来た。
一時間置きに、十五分程度、ガイドの説明によって見学出来る。
メルシャン美術館には以前も来た事があるけど、蒸留所の見学は初めてだ。
見学でいくつかの知識を仕入れた。
メルシャンと言えばワインだけど、ここはウィスキーしか作っていない。
元々はオーシャンウィスキーの蒸留所で、日本で一番小さな蒸留所とのことだ。
貯蔵庫の建物に蔦が絡まっているのをよく見るけど、あれは貯蔵庫の中の温度を四季を通して一定に保つ効果がある。
夏は葉が生い茂り直射日光を避け、冬は葉が枯れて日光が直接建物に当たる。よく考えられたものだ。

お昼を食いたいと思ったけど、エルミタージュとかいうフランスの美術館の名を冠したレストランは、今日は予約で入れなかった。以前ここで食った時は、今日より人が多かったけど、普通に入れて食えたのだが…。
それで、お昼はカフェのシーフードオムライスにした。味はまあまあ。
今まで食った中で一番印象に残っているオムライスは、伊那のかんてんパパのレストランで食ったオムライス。これは美味かった。
でもこのカフェのケーキは美味い。

お土産で、29年物の軽井沢ヴィンテージウィスキーが5、6万していた。飲んでみたいと思ったけど、いつも安い発泡酒で済ませてる僕には手が出ない。
13年物の限定で、赤いウィスキーという珍しいものがあった。これはシェリー酒の樽で熟成されたから、シェリー酒の色が付いて赤いらしい。

自宅から僅か二十分ほどのところに、短いけど充実した時間を過ごせる場所があるのは嬉しいものだ。



メルシャン軽井沢美術館から望む浅間山は、浅間八景のひとつに選ばれている。
晴れ間の広がった青空を背景に、浅間山が綺麗だった。

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2008年11月05日 Posted by Le musicastre at 20:43Comments(0)御代田

鬱蒼と 木立が茂る 八加倉神社

朝の国道18号は混んでいる。駐車場から国道を右方向に曲がろうと思うけど、車の列が途切れない。二、三分待って、ようやく左車線からの車が途切れると、タイミング良く、右車線から車の列が固まってやってくる。
またしばらく待って、右車線の車が途切れると、今度は左車線から車がやってくる。なかなか国道に出れやしない。
今日は小諸の祇園だから市内は交通規制される。だから夕方の国道18号は余計混雑する。浅間サンラインを行った方がいい。

朝一番に上田の支社に寄るが、まだ開いていない。あれこれ予定を組み立て、せっかく早く来たけれど、少し時間をロスした気分だ。
支社で用事を済ますと、御代田まで行く。御代田での行き先はまだうろ覚えの場所なので迷っていると、神社があった。
鳥居の額には、『八加倉神社』と書いてある。



(ヤカクラ?、あのレストランの名前と同じだ)たまに行くレストランを思った。
(そういやヤカクラ、すぐ近くじゃないか)ここは料理もコーヒーも美味いのだ。
自分としては、御代田にある本家本元より、小諸のヤカクラの方が好みであるが…。



(ヤカクラは土地の名前が由来だったのかな)と思うのと同時に、八加倉は御代田町にある字名だという事を初めて知った。
おそらく土地に住む人たちにとっては、御代田町大字馬瀬口字八加倉にある『ヤカクラ』の名前は当たり前のような事かも知れないけれど、僕にとっては、そうわかった事が新鮮だった。

字名を冠した八加倉神社の、鬱蒼と木立が茂る境内は外界を仕切る境がなく、昔は、おそらくもっと広かったのだろうと想像する。
本殿の造りは古そうだが、由来書がない。
そこで携帯のWebで調べてみると、八加倉神社は1649年の創建で、祭神は磐長姫命との事だ。
磐長姫命は長生きの神様だというが、磐(岩)が永遠に形を変えない物だと思うと、(なるほど)と納得する。



午後一時。境内を出ると、夏の日射しはますます暑さを増幅させていた。

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2008年07月12日 Posted by Le musicastre at 23:08Comments(0)御代田

龍神の 寺から見える 浅間山 〜浅間山八景1〜

偶然見つけた標柱から、『浅間山八景』なるものを知ったが、その場所の地図が御代田町のオフィシャルホームページに載っていた。八景は御代田町が定めたもので、特にメルシャン軽井沢美術館の敷地から見る浅間山とギッパ岩から見る浅間山、ふるさと大橋から見る浅間山が、ブログなどで紹介されている事が多い。八景の中でも、この三ヶ所が人気なのだろう。
地図には、真楽寺から見た浅間山が、八景の第一番になっている…。


僕は仕事を終えると、さっそく真楽寺を訪れてみた。
昨日の好天とは打って変わって、雨が降りそうな天候だ。それでも初夏に近付く陽射しは、薄い雲を通して車内の温度を上げる。
走らせる車の車窓から時々姿を見せる浅間山は、灰色のベールが掛かっていて遠く感じる。
車の通りは疎らだが、今はアスファルトの道に変わった、おそらく旧北国街道の脇道であった真楽寺道から入る細い道は、真楽寺の駐車場まで車を誘導してくれる。
観光バスも止められる広い駐車場の隅には大きな藤棚があり、じゅうぶん咲き誇ったであろう藤が、最後の華やかさを見せていた。

この駐車場からは、本堂へと上る階段の真下に出るが、僕は階段を上らず、反対方向にある仁王門の外に出た。

真楽寺は、説明するまでもないが、龍神伝説が元となる龍神祭りで有名で、十年前の長野冬季オリンピック開会式のイベントのひとつになっていた。
龍神の伝説については、色んなサイトで知る事が出来るが、ちょっとだけ述べておくと…。
龍神伝説は甲賀三郎の伝説が元になっている。三郎には美しい奥さんがいたけど二人の兄たちが羨んで、三郎から引き離してしまう。三郎は奥さんを捜すうちに色々あって龍になっていまう。龍になった事に気が付いたのは、真楽寺にある大沼の池に映った自分の姿を見たからだ。
ある時、諏訪湖の中から三郎の名を呼ぶ声が聞こえる。声の主は、忘れもしない自分の美しい妻である。三郎はその声が聞こえる諏訪湖の中に飛び込んで行くという、愛する妻を捜す男の物語だ。
その龍は、諏訪の諏訪大社に祀られているタケミナカタノミコトなのである…(曖昧な知識なので、もしこれを読まれている方がいらっしゃったら、正確なところを調べて下さい)。

真楽寺は浅間山を鎮める為に建立された、軽井沢地方では古くからのお寺らしい。
杉に囲まれた佇まいは趣があるし、仁王門や本堂、三重の塔は歴史の重みを感じさせる。杉から発散するフィトンチッドに癒されそうだ。

表参道から仁王門を入ると、六地蔵が迎えてくれる、杉並木の参道だ。
この右手に、龍神伝説の大沼の池がある。水は驚くほど澄んでいて、水底の緑の藻までもが見える。
水面は鏡のように回りの木々を映し、美しい。
湖面には三郎の化身、龍神の姿が…。
水際まで行って、自分の姿を映して見る。まさか龍の姿にはなっていないだろう…。

  

七十段近くある階段を上ると、広い境内だ。鐘楼や三重の塔、神代杉などがある。それに弁慶や頼朝などの名前が付いた松や梅がある。どういう関係があるのかはわからないが、面白い。





さて、真楽寺は、度々訪れた事があるが、八景のひとつだったとは気が付かなかった。
浅間山はいつも普通に眺められ、日頃から馴染んでいて、八景に拘る事もなかったからだろう。浅間山は場所ごとに表情を変え、どこからでも美しく見える。
しかし、(真楽寺から浅間山を見るポイントはどこだろう?)と場所を示す標柱を探したが見つからなかった。真楽寺に近づき過ぎると、手前の森で浅間山が見えなくなるし、遠くでは真楽寺から離れてしまう。
仕方がないので、僕がもっとも浅間山が美しく望める場所と思うところを写真にとってみた。やはり真楽寺に絡めなくてはならない。



上の写真が真楽寺の参道から眺めた浅間山である。入り口にある石塔を通して、遠方の浅間山を望むのだ。
我ながら、このビューポイントの発見は気に入った。

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2008年05月24日 Posted by Le musicastre at 22:10Comments(2)御代田

御降嫁の 行列続く 姫の宿 〜浅間山八景2〜

暑い一日だった。
室内だったけど、午後三時まで時間拘束の肉体労働で、体力の消耗も激しい。
臼田で、二日前から滞っている仕事があるが、小諸から行く気力が失せる。
どっちみち行っても半分の仕事しか出来ないが、半分だけでも済ませておいた方が良かろうと、臼田に向かう。残り半分は朝でなければ、予定はこなせない。時間は、自分の都合の良いようにはいかないものだ。

臼田からの帰り、岩村田から小田井を通り御影に出るコースを辿る。めったに回らないコースだが、今日の仕事はこれで終わりと、何時ものように回り道をする。
小田井から小諸へ向かう道沿いは田んぼが広がり、所々農作業の軽トラが止まっている。そろそろ作業を終える時間だろうか、帰り支度をしている。みんな疲労感と解放感の入り交じった心地だろう。
その道の途中、白い標柱が目についた。こういうのは何だろうと確認してみたくなる。性分だ。
道端に車を止めようと思うが、農作業の軽トラは止まっているし、この道は砂利トラもよく通る。僕は脇道に車を止めた。



標柱には、『浅間山八景第二番』と書かれていた。
(富嶽三十六景みたいだな)と北斎を思ったが、なるほど、浅間山の眺めが良い。浅間山も富士のお山に劣らず八景以上はあるだろう。
しかし今日は、トレーシングペーパーを透かしたような浅間山だ。この時期は、こんなようにしか見えないが、霞が晴れたら素晴らしいだろうと想像する。
八景というくらいだから、
(まだ七つあるんだろうな)と、携帯の検索サイトで調べてみる事にする。するとあった。
浅間山八景を紹介しているブログもあったので、今さら僕もここで倣っても二番煎じだなと思う。
しかも、浅間山八景からの浅間山を素晴らしい写真付きで紹介している。
しかしすべて訪れてみるのもいいかなとも思った。そしたら多分、僕もブログに書くだろうけど、写真は携帯カメラで、パシャだ。
もっとも、僕のブログは名所旧跡の紹介ブログではなく、訪れた時の景色の印象や思いを書いているだけだ。
もし稀に、このブログを検索で探し当てて読んで頂いても、観光の案内にはならないだろう。

この第二番の浅間山八景からしばらく行くと、『鋳師屋遺跡』の案内板もあった。これもネットで知った事だが、この辺りは遺跡が多いようである。
ブログは、この国に住む人口以上にあるんじゃないかと思うくらい、ネットから溢れている。僕もこんなブログを書いているけど、書く余地がないくらいだ。
もちろん、この近くの小田井宿の事も、今さら書くのも憚るほどたくさんネット上に記事を見つけるが、敢えて書いておく事にしよう。

小田井宿は、参勤交代などで大名が追分宿で宿をとる際、姫君や側女たちの宿にあてられる事が多かったので『姫の宿』とも呼ばれ、かの和宮が休息した宿場だ。ここには和宮より拝領された人形が残っていて、それにちなんで八月に『小田井宿祭り』がおこなわれている。
今大河ドラマで『篤姫』をやっていて、視聴率もいいようだ。幕末をテーマにしたこのドラマ、和宮も出てくる。演じるのは堀北真希で、主人公篤姫を演じる宮崎あおいより、僕は好きなので楽しみにしている(『ケータイ刑事 銭形舞』以来ファンである…)。

僕の好みはさて置き、和宮は天皇の娘でありながら将軍家に降嫁しなければならない、悲劇の皇女というイメージが強いが、嫁入り行列は二万数千人という凄い数だったそうだ。そんな大行列で、この宿場は大変な騒動だったんではと思う。
僕は歴史の中で幕末は苦手なのだが、和宮にまつわる話は面白い。そのひとつに、とんでもない説だけど、和宮は替え玉だったという話もある。
替え玉説は想像の域を出ないが、そんな事を想像しながら、「まきまき」の登場を楽しみにしたい。


先ほど解除されたが、帰宅後、小諸市の広報で佐久地域で『光化学オキシダント注意報』が発令されたと放送があった。光化学オキシダント注意報がどういったものか、光化学スモッグみたいなものか、よくわからない。
しかし、注意するに越した事はない。

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2008年05月23日 Posted by Le musicastre at 23:15Comments(0)御代田