井戸端の コミュニケーション 今ネット

祖父母の家があった近所には、僕の小学校の頃まで井戸があり、生活用として利用されていた。井戸というと釣瓶式の物を想像してしまうが、ポンプ式の物である。

藤村や夫人が利用した井戸が大手にある。



現在見られるのはポンプ式の物であるが、藤村の頃は釣瓶式の井戸だったらしい。
「藤村が朝顔を洗い、冬子夫人が水汲みや洗い物に通い、近隣と親交を深めた井戸」だと案内に書いてあったが、井戸端会議という言葉があるように、井戸は、近所の人たちと何の拘りもなく明け透けな情報交換をした、社交場だったのだろう。

僕たちはインターネットにより、顔の見えないコミュニケーションを行う機会が多くなってきているが、ネットでのコミュニケーションも、本質は井戸端のコミュニケーションと同じものでありたいと思う。

井戸端の コミュニケーション 今ネット

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(2008.9.3の投稿を加筆修正したものです)  

2010年09月03日 Posted by Le musicastre at 18:03Comments(0)小諸(新・小諸雑記BLOG)

PAVAN ~小諸市動物園の孔雀~

朝起きると雪。桜を待つばかりのこの時期に、小諸は5センチほどの雪が積もっていた。なごり雪にしては本格的過ぎる。しかし日中は太陽が顔を覗かせていた時間も多かったので、今朝の雪が幻だったかのように、夕刻にはほぼ消えた。やはり日差しは、春の日差しである。

さて、今話題の、その話題も落ち着いてきた感じだけれど、twitterを小諸市動物園も始めたようで、さっそくフォローした。
小諸市動物園は長野県最初の動物園で、小さいながらも親しみのある動物園である。
この動物園のアイドル的存在の川上犬さくらも、先日行った時より大きくなっていた。

その「先日」のことを記しておきたいと思う。

「その日」は今日とは違い朝起きると快晴。浅間連峰の裾野に白い雲が堆積しているだけで、その上から浅間山が覗いていた。
午前中はあれこれ処理出来たか出来ないか、進捗状況もはっきりしない程度の用事を済まして、午後になってから懐古園へ散策に行って来た。
晴れてはいるけど、まだ春になったばかりの季節の空気を温めるには到らず、風は冷たい。それでも散策するには丁度良いくらいだった。

いつものところに車を停めると、酔月橋を渡り園内へ入る。橋の下を覗き込むと、目も眩むほどの深い谷だ。右手の水の手にある、断崖を垂直に登った先の東屋は、遥か高い所にあるように感じる。この橋を渡るのは、まるで空中を歩くようだ。

園内は閑散としていたが、それでも観光客らしき人たちがポツリポツリといた。
桜の季節になれば、このポツリポツリの観光客もひしめき合うほどに賑わう。その季節はもうすぐだ。
小諸城址懐古園は、島崎藤村の『千曲川のスケッチ』によって有名になったが、その『千曲川のスケッチ』は春、桜の季節から始まっている。僕はこの「その一」の章の記述が一番好きだ。春の風景が浮かぶのだ。それはその文章に書かれた情景ではなく、自分が経験してきた数々の春が、その文章と重なった情景だ。

懐古園を訪れると僕は決まって、一番最初に動物園に向かう。
特にこの季節、動物たちはもちろんだが梅の開花を見に。懐古園の中では、動物園の梅が一番早くに咲くと思う。
エミュー舎のところの白梅、ライオン舎のところの紅梅。



紅梅は満開近かった。

しばらく動物園を散策すると、クジャク舎ではクジャクが大きく尾を広げていた。こうして尾を広げるのは求愛の時期に限ってだと聞いた事がある。珍しいので写真に収めた。



その美しい姿に、ルネサンス時代の舞曲が頭に浮かんだ。『パバーヌ』である。
パバーヌは、孔雀の舞いという。二拍子系のゆったりとした優雅な舞曲だ。それがいかにも孔雀の歩みのようなので、そう呼ばれるらしい。

下の演奏は、自分の演奏で恐縮だけど、パバーヌのひとつである。



John Dowland / Lachrimae Pavan

(まだ追記する予定だけど、とりあえずここまで)  


2010年03月29日 Posted by Le musicastre at 23:59Comments(0)小諸(新・小諸雑記BLOG)

菱野薬師 その2 ~小諸の伝説の地を訪ねて 1~

この記事は、山あいに 薬師導き 温泉地 ~菱野薬師 その1~の続きです。

(先日図書館で、小諸の昔話という子供向けの本を見つけ読んでみると、小諸にはたくさんの伝説や昔話があることに驚きました。その話の地を訪れてみたことを、このブログでおいおい書き記していきたいと思います)


大雄寺まで上ってくる途中の分かれ道に道標があって、それには『左松井道、右浅間道』と刻まれている。僕が来たのは松井道の方だ。このまま上って行くと高峰高原に辿り着く。途中に菱野薬師がある。僕はそこを訪れる事にした。菱野薬師は大正時代まで、参拝する人で賑わったそうである。

薬師如来が安置する薬師堂には、薬師館の脇から入る。その左手には薬師ヶ池があり、水が流れている。微かに硫黄の匂いがする。手を触れると冷たい。コップが置いてあるから直に飲めるのだろう。
そこに掲げられた案内板には、菱野薬師温泉の由来が書かれていた。



それをそのまま記しておく。
『今を去る八百年前建久二年頃、稲室龍洞と云う馬宰士が戦傷を負い諸国を巡遊するうち此の地に来りて観音に龍った。
ある日龍洞の枕辺に如来が現われ「今吾は汝の正しき心と厚き信心を知る、依って汝に其の傷を癒するの道を授けん」と霊泉の場所を教えた。霊泉を発見した龍洞が早速浴した所傷が全治したと伝えられている』

階段に差し掛かる左手に、臼田亜浪の句碑があった。



『郭公や 薬師立たせる 山の霧』

僕には俳句の鑑賞能力がないから、意味がサッパリわからない。もっとも俳句は理解より感性だ。感じたままを素直に受け取る事にする。とは言え、『郭公』が何なのかわからない。それじゃ感性以前の問題だ。そこで携帯からネットの辞書で調べてみると、『かっこう』の事だった。

山霧の中に薬師如来が頭だけが見えているのだろう。それが山の何処からか聞こえてくるかっこうの鳴き声に、どこで鳴いているのか探しているような、そんなイメージだ。


落ち葉の急な階段を登る。数えながら登ったら80段ほどあった。



登り切ると正面は石垣で道は左右に分かれる。左に行くとどこかに下って行くようなので、右の登りにいく。すぐに御手水舎があった。
今、登って来た道を振り返れば、薬師堂が見える。先ほどの石垣の上だ。意外と小さなお堂である。

  

中を覗くと、二体の脇侍を従えた、たぶんそうであろう薬師如来の姿が。
京都や奈良の等身大くらいの仏像を想像してたが、意外と小さい。善光寺の前立本尊にしてもこのくらいだろう。
僕は写真を撮ると、
(そう言えば)と気が付いた。お参りをしてなかったのだ。お参りもしないでカメラを向けるのは、許可なく人を撮るようなものだ。
手を叩こうとしてふと、
(神社じゃないんだよな)と、お寺でのお参りはなんか形式があるのかなと思いながら、ただ頭を下げた。



合掌。

(了)

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2009年12月16日 Posted by Le musicastre at 19:06Comments(0)小諸(新・小諸雑記BLOG)

山あいに 薬師導き 温泉地 ~菱野薬師 その1~ 

天気予報によれば、今日は良い天気のようである。しかし朝の数時間、浅科の霧は晴れないでいた。

田園地帯を車で走る。直線に走る道の両側の田んぼから、朝の太陽に暖められた土が蒸気を発生させている。これだけの田んぼの数だ。一枚一枚の田んぼから立ち上る蒸気が合わさって、大きな霧の幕を作っているのだろう。

田園地帯を抜け、塩名田から小諸に入ると霧は晴れ、フロントガラスの向こうに浅間山が、くっきり見えてきた。
先日より小さくなった雪型を山肌に貼り付け、今日は山の上空に雲もない。

ある公園に車を止める。
浅間山から時計回りに、グルッと視線を移す。軽井沢方面へ緩やかに下る稜線は、近くの小高い丘に阻まれた。その丘の手前は小諸の町だ。さらに視線を移すと冬色の太陽が、僕の目を細めさせた。

光を手で遮りながらまた視線を移すと、冬枯れの木立の間から稜線が現れた。その稜線の一番高い所は蓼科山だ。丸い蓼科山の天辺は禿げ頭のようだと思う。
視線は再び浅間山を捉える。

浅間山は穏やかだ。ヘリコプターの音がする。空を見上げてみたが姿はない。音だけを残してどこかに消えて行ったようだ。
耳を済ませてみれば、様々な音が聞こえてくる。穏やかそうに見えるこの景色の中に人の営みがあることを感じさせる。
暫くここに留まりたい気持ちをその音は、僕を仕事へと引き戻す。


現場に顔を出し仕事の状況を確認すると、午後の早い時間に小諸に戻った。実は今日のところは、この一件しか巡回してないのだが、ここしばらく休日出勤や夜の作業が続いていたので、
(たまにはいいか)という気持ちだった。幸い仕事の電話は一本あっただけで、それも急を要するものではなかった。

僕は、藤村の千曲川のスケッチに出てくる囁き道祖神の事が気になっていたので訪ねてみる事にした。
以前からこの道祖神のある場所を探していたのだけど、なかなか見つける事が出来なかった。それが最近得た小諸の風さん(@komoro)からの情報で、
(行ってみるか)と車を西に向けた。

目的の場所は大雄寺である。大雄寺は別名小諸善光寺と呼ばれている。
全国に善光寺と名の付くお寺は多い。それは戦乱などによって善光寺如来が一時遷座した寺だからだ。(でもなぜ、小諸に善光寺なのか?)
それは境内の由来書きを読めば想像出来る。



大雄寺の本尊は、来迎印の阿弥陀如来立像で、両脇侍が観音と勢子の二菩薩を配した『善光寺三尊』だからだ。

さて、囁き道祖神だが、実は以前、Aさんから聞いて訪れたのだが、見当たらなかった。だから今日は住職か家族の人に尋ねるしかない。しかし訪れたものの留守だった。
(またの機会にするか)と僕は諦めた。

(つづく)

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タグ :小諸伝説


2009年12月09日 Posted by Le musicastre at 23:40Comments(0)小諸(新・小諸雑記BLOG)

わが町の・・・ ~鶴巻の湯~ 

小諸に住む僕は、このブログで小諸について駄文を綴っていますが、小諸に住む自分以上に、遠くから来て小諸の町を歩かれている方々がいます。
そういう方が書かれたブログに面白いものがありました。それは『鶴巻の湯』について書かれたものです。
『鶴巻の湯』は、僕が子供の頃に度々入浴に来たことがありますが、その記事を読むと、現在もまったく当時と変わっていないようです。

『鶴巻の湯』について書かれたブログ

(上記は無断リンクです…)


僕のブログに『鶴巻の湯』周辺を歩いた記事がありますので、こちらもご参考に。
薬師像 掘り出されたる 瀬戸屋小路
何処より 鶴が来たりて 空を舞う

わが町の ネットで見つけたブログ記事に 昔と違わぬ趣を知る
(『鶴巻の湯』について書かれた記事をネットで見つけて詠む)

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タグ :銭湯


2009年11月27日 Posted by Le musicastre at 01:04Comments(0)小諸(新・小諸雑記BLOG)

小雨降る 林道沿いの 保存園 ~遺伝資源保存園~

僕の誕生日辺りから浅間山は冠雪し、小諸にもいよいよ冬到来という時期になった。
夕方頃から冷たい風が強くなり、この時間は雨の音が聞こえている。もう少し冷え込めば雪になる雨だろう。
ここのところ日曜出勤、日勤夜勤連続の忙しい日々でブログの更新もままならなく、ついついアップし忘れていたものがあったので、今記しておきたいと思う。
まだ秋真っ盛りのある日のことだ…。


台風の影響だろうか、小雨が降ったり止んだりの午後、1000m道路を走る。
高峰辺りから町に下りたいが、生憎工事中で通行止だ。
このまままっすく行けば下る道もあるだろうと、通行止の看板を横目に通り過ぎる。
普段も日が射さそうもない林間の道は、曇り空で余計にほの暗い。
林間が開けた場所から覗く佐久平は、刈り入れを迎えた田んぼが緑の中広がっている。
先ほどの工事箇所へ向かうのだろうか、狭い道を大型ダンプとすれ違う。
あまり車が通らなさそうにみえるこの道も、意外と対向車とすれ違う。

左折すると平成の森マレットゴルフ場に向かう十字路の手前、ひとつの看板が目に付いた。車を降り見ると、『遺伝資源保存園』と書いてある。



『天然林の現象や絶滅に瀕している樹種、育種、素材として利用価値の高いもの、天然記念物や巨樹・銘木、希少種など森林を構成する多様な樹種を対象に探索・収集し、貴重な遺伝資源を後生へ継承するために特殊調査を行い、特性評価の情報提供や試験研究用に配布も行なっている。ここには、天然性カラマツの北限とされている宮城県の南蔵王・馬ノ神岳のカラマツと毎年球果を着生させるなどの特殊な形質のカラマツがつぎ木増殖により281本が保存されている』と説明されている。

(なるほど)
『園』と言えば動物園や植物園など、人に見られることを目的としたものであるが、こうして人に注目されず、種を残すための『園』があったことを知った。

小雨降る 林道沿いの 保存園

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2009年11月25日 Posted by Le musicastre at 00:07Comments(0)小諸(新・小諸雑記BLOG)

涼風は すでに肌寒 秋の滝 ~小諸眺望百選12~

菱野薬師伝説の地を訪れようと菱野へ行った時、不動滝と書かれた案内板が目に入った。
(これゃ見なきゃ)好奇心旺盛ってわけじゃないが、どうもこういった案内があると見てみたくなる。
僕は薬師館手前の道を左折した。
曲がりくねった、舗装されているけど林道みたいな道を、クネクネと登る。
程なくして、30メートル先右折の看板があった。
(あと30メートルか、近いな)と思ったけど、それは、30メートル行けば右側に見えると勘違いしたからで、さらにそこから100メートル行く事になる。
その100メートルの道は、草が踏み分けられて出来たような道だ。まだ朝露が残る雑草はズボンの裾を濡らした。
さっき、この道に入って来る近くにカーブミラーがあったが、『クマ出没』と注意を促す貼り紙が朽ち果てていた。
確かに熊が出そうな山深いところだ。これからの冬眠に備えて餌を求める時期で、遭遇確率も高そうだ。
今どきの熊は民家のある所まで下りてくる。我が家の近くにも熊が出没した事があった。
『クマ出没』の貼り紙に行く気が萎えたが、せっかくだから見てみたい気持ちが勝った。

足元に注意しながら行くと、小川のせせらぎに紛れて、滝の音が聞こえてきた。
(もうじきか?)と思ったら、前方に滝が見えた。



不思議なもので、滝の周辺は神々しい領域を感じる。と言っても僕は不審者、いや不信心者だ。
それは古来からの万人に共通する気持ちだろう。その証拠に、木から木へと注連縄が張られてあり、それは結界のようだった。

歩みを進めると、風を感じた。滝の落下が起こす空気の流れだ。
(夏だったら、さぞかし涼しいだろうな)時期は晩秋。秋晴れの今日とはいえ、その風は肌に寒い。しかし身を引き締め、リフレッシュさせる。
滝の右手には二体の不動明王があった。



(不動滝だから不動明王か)と思いながら年号をみると、寛政年間のものだ。その頃からこの滝は認知されていて信仰の対象になっていたのだろう。
不動明王を越え、さらに滝に近付いてみた。
滝の飛沫が身体にかかる。飛沫はたくさんのマイナスイオンを含んで、シャワーのように全身に降り注ぐ。
落ち口を見上げると、まだ青い葉を残している木々の間から射す日差しに、キラキラしながら水が落ちてくる。
(さんずいに竜か…)確かにそうだ。水は落ちてくるけど、うねりは上に登っているように見える。目の錯覚というやつだ。



引き返すとき、濡れた落ち葉に足を取られる。濡れた落ち葉は滑りやすいのだ。その時、不動明王が目に入った。
(お参りしなかったからか?)僕はふと思って、手を合わせた。
不信心な僕をそういう気持ちにさせるから不思議だ。
こういった石造りの不動明王は、道祖神と同じように神様のような趣がある。それは神仏習合によって神道と仏教が複雑に絡まった日本の宗教の特殊性が、そう感じさせるのだろう。

滝は清らかな小川を作っている。この小川はそのまま千曲川に落ちるのか、それとも他の支流に合流するのか分からないが、大きな流れになって大海へ注ぐのだ。
僕は小川に沿った草の道を引き返した。



車に戻ると、車幅ギリギリの車道があったので、滝が落ちる上まで行ってみる。
滝の落ち口のとなりに道祖神がある。近くまで行って滝の下を覗き込みたい衝動にかられたが、有名漫画家が、崖下を写真に撮ろうとして転落死したニュースが頭を過った。
(やめたほうがいい)と思って足早に滝から離れた。
(やめたほうがいい)と自分が思ったのじゃなく、(やめたほうがいいよ)と言った、誰かの声だったかも知れない。




秋晴れも 滝起こす風 肌に冷たく
涼風は すでに肌寒 秋の滝

(秋の日に不動滝にて)

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2009年10月18日 Posted by Le musicastre at 13:31Comments(0)小諸(新・小諸雑記BLOG)

団栗が 屋根を叩くは 秋の音 ~小諸市動物園にて~

その1
昨日、臼田での仕事を終えて帰路。先日の事もあったし、県道を行くのを止める。
片側二車線を法定速度で行くも、右側を追い越して行く車が多い。
(あれは全部スピード違反車だろ)と思う。本来なら、速度を守っている車を追い越して行くんだから、全部捕まるのが当然だが、実際は捕まらない。ネズミ取りに引っ掛からなければ違反にはならないのだ。
法は誰にでも平等な筈だが、こんなところが実は平等ではない。
どうせ取り締まりをするんなら、24時間やるべきなのである。思い立ったように数時間取り締まりをやるから、違反車は減らないのだ。ホント、無駄な事に我々の税金が使われている。

個人的な不平不満は、間違ってこのブログを読んでしまった不幸な方にはあまり気分の良くない、不幸の上塗りになるだけなので、ここまでにしておこう。
そう言えば、日記は良いことがあった事を書くと癒しになるらしい。


さて、あの10円まんじゅうの店だが、場所が僕の記憶違いだという事がわかった。
今度はちゃんと場所を確認して、仕事を終えてから寄った。
訳あり品っていうのも売っていて、10個100円が、たぶん見た目がおかしいだけなのだろうけど、それで20円引きだったから、お得だ。
黒糖の皮、これがしっとりともちもちで、10円のレベルじゃ乾いたような皮を想像してたけど、これがしっとりとしてもちもちで美味い。

餡はこし餡で、甘さ控え目。小さいから、一気にペロリと平らげた。
安くて手軽な、いいおやつになりそうだ。




後半の話に入る前に、閑話休題。
また僕の演奏で恐縮ですが、リュートの演奏を1曲。
曲は、初期バロック時代の作曲家、カプスベルガートッカータ第7番(G.G.Kapsberger / Toccata 7)です。1611年に出版された『リュート曲集第1巻』に収められているものです。同じ時代、同じローマで活躍した作曲家、ピッチニーニと比較される事が多いようです。
トッカータは和音と急速なパッセージが変わりばんこに出てくる即興的な曲です。
和音の後の速いパッセージを、曲調や演奏(フィゲタというリュート独特の奏法で弾くか、クラシックギターのように中指人差し指を交互で弾くか)をどうするか難しい部分です。僕はフィゲタで弾いています。
自由奔放な曲で、音符通りに弾いてしまうと面白味がなくなります。僕のレベル以上の曲ですが、敢えて挑戦しました。

カプスベルガー/トッカータ第7番(『リュート曲集第1巻-1611年-』より)





その2
というわけで今日、三連休の最終日だけでも休めたので良かった。
天気は朝から快晴だ。しかし午前中は家でゴロゴロしてただけだ。
お昼を食べてから、
(食っちゃ寝はいかんな)と健康の事を考え、懐古園を散策する事にした。
先日、テレビのローカル番組(長野放送『土曜はこれダネっ!』)で、今年4月にやって来た川上犬に会いに行こうと思ったからだ。

懐古園着。相変わらず酔月橋の方から園内入場だが、この酔月橋、渡る度に足がすくむ。深い谷は見ないようにしているが、それでも谷底は目に入る。
(高所恐怖症はなおらないな)と足早に渡り終える。

園内には観光客がチラホラ。懐古園の紅葉は始まったばかりだし、秋はこんなもんかなと思ったけど、三連休の最終日にしてはまぁまぁいた方だ。

動物園に行く前に園内を一週する。
途中、木立の中に、タン、タン、タンという音が聞こえてきた。北の丸跡にある弓道場からだ。敷地に入ると三人が矢を射っていた。的に当たってる音だ。20メートルくらい先の的だが、よく当たる。上手いものだ。
射手の若い女性に暫し見とれる。若い女性のこういった袴姿はなかなか見る事はない。凛として美しい。

『しらつるばし』を渡ると動物園だ。
園の入り口には、鳥インフルエンザ予防対策のため、消毒箱で靴裏を浸して入園するようになっていた。
渡り終えた橋の左手にあるドングリの木からボタボタボタと大きな音がする。夕立の降り始めに落ちる大粒な雨のような音をさせて、ドングリの実が動物舎の屋根を叩いていたのた。
(ドングリの実はこう一気に落ちるのか)と知った。その音に、
(秋の音だな)と思う。
道にドングリが落ちているのはよく見るけど、まさに落ちているのを、あんなに大量に目の当たりにする事は少ない。凄い勢いで、当たったら痛そうだけど、これぞ秋の音だ。

川上犬は動物園入り口のドッグランにいた。これから園内の散歩に出るところだった。

 

ドッグランといえば、小諸市内の公園はドッグランがよく整備されているような気がする。南城公園には、わざわざ佐久から車でやってくる人もいるようだ。敷地は広いしハーネスなしで走り回れるから、ワンちゃんのいいストレスの発散の場所になってるんだろう。

川上犬は、今年4月に川上犬保存会会長の藤原村長より贈られ、6月に『さくら』と命名された。やってきた時は三ヶ月だったそうだ。
長野放送『土曜はこれダネっ!』の取材のおり、番組レギュラーのお笑い芸人末吉くんが、さくらの看板を作ってくれたそうで、それが動物園三の門側入口に飾ってあった。

 

(この動物園のアイドルになればいいね)と思いながら、長野県内最古の動物園を後にした。




団栗が 屋根を叩くは 秋の音
(小諸市動物園にて)

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2009年10月12日 Posted by Le musicastre at 23:07Comments(2)小諸(新・小諸雑記BLOG)

真楽寺に至る道 その2 ~真楽寺道~

ブログにも色々なものがある。
僕のブログは主に自分の住む周辺の自分が訪れた場所の事を書いているけど、それはガイドやルポ、レポートとは違う。あくまでも目指す方向は写生文なのだ。もちろん、僕の文章力や構成力の無さが原因で、
「えっ、そうなの?」と思われても仕方がないのは分かっているので、そこはツッコマナイで欲しい。
だから、もし行きたい場所を知ろうとインターネットで検索し、僕のブログがヒットしたとしても知りたい情報を得られる事はない。つまり、役には立たないのであしからず…。
ただ、興味を喚起するものを心掛けたいと思う。


話は、台風18号が接近する前日の事である。

台風の接近で、灰色の空から落ちてくる雨は、自らをアスファルトに叩きつけていた。
高木の上の方は風に揺れているが、低い木は意外と穏やかだ。
ニュースによると長野県を北上し、午前9時頃には諏訪付近に達したらしい。
(小諸直撃じゃないか?)と思っていたら、9時を過ぎた時間、雨は小降りになった。
今夜は夜に仕事があり出掛けて行かなければならないが、
(一昨年もそうだったな)と台風の中を仕事で夜に出掛けて行った事を思い出した。国道18号が倒木で通行止、森山の県道も倒木で通行止になっていた。仕事が終わり帰宅時は迂回を余儀なくされた。

10時半頃になると、空が明るくなってきて、風雨も収まりつつあった。
乾き始めたアスファルトは湯気をあげている。
台風は長野県を過ぎたのだろうか、11時を回った頃に降った細かな雨は、台風通過の名残のように思えた。
道を走ると、落葉と折れた小枝の置き土産が多少あったが、配信されてくる小諸市役所のツイッターによると、市内での被害は今のところ確認されていないようだ。とりあえず安心だが、長野県下では南信での被害が大きかったようなので気にかかる。

救急車のサイレンが再び聞こえていた。これで三回目だ。この台風による被害なのだろうか。


さて、塩名田道北国街道に行き着き、真楽寺に向かうには、与良を起点とした真楽寺道を行く事になる。
与良の信号付近には馬頭観音と共に、真楽寺まで『一里十丁』と彫られた道標があった。

 真楽寺への道標

塩名田宿の道標には『三里』とあったから、そこからここまで二里、約8キロ来た事になる。
8キロは車で15分足らずだけど、歩いて、しかも峠越えだとどのくらいかかるのか、その距離を歩いた事がない自分には見当もつかないが、塩名田から小諸まで8キロ以上あるような気がする。車だからだろうか。

道標の右手は車道で、上って行けば国道18号を渡り馬瀬口まで続くが、どうも昔の真楽寺道とは違う気がする。
それで、左手に蛇堀川に沿った道があったので、こちらを行ってみる事にした。以前、小諸の古地図を見ていた時、『柏木村に至る』とあった道かも知れない。

『柏木村に至る』道もほどなくすると国道を渡り、急な坂となる。その途中に馬頭観音があった。

 坂道の馬頭観音

別のところから移動させてきた痕跡がなく、もともとここにあったものなのだろう、行く道が真楽寺道ではないかと思わせた。

さらに行くと左手に鳥居があった。案内板があり何か細かい字が書いてある。『蛇石』とあった。

 蛇石

鳥居の向こうに大きな石があり、その上に祠がある。
案内板によると、昔この辺りを荒らし回った大蛇がいて、それを祀り災いを鎮めたという。

  道中で出会った道祖神

森の中を行く道は十字路を過ぎ、やがてT字路に突き当たる。左手には鳥居があり諏訪神社と書かれていた。
このT字路を右に行き県道馬瀬口線を横切ると、阿弥陀堂がある。
この阿弥陀堂については以前ここに書いた事がある。
県道に出てしまった訳だが、後は馬瀬口まで行くしかない。このまま行くのは普通の車道なので面白味がない。そこで脇道脇道と行く事にした。そうした方が思わぬ発見をするもなのだ。
八満の信号で浅間グリーンロードを上がる。八満の信号近くには、八満弓神社の鳥居があった。本殿は鳥居のずっと先らしく見えなかった。
石峠・藤塚という信号で右折してみた。
行ってみると、何のヘンテツもない車道である。左に神社が見えたが神社名は確認してない。さらに行くと樹齢何百年もありそうな大きな木の下に双体道祖神があった。

 双体道祖神

 道中で出会った道祖神

このブログにも『小諸眺望百選』の事を書いているが、この道沿いにそれがあるのを発見した。しかし何番かは確認してない。車だと、こうして通り過ぎてしまうものだ。
道は御代田町に入る。程なくして御代田町が定めている『浅間山八景』の標柱があった。
この道は、小諸市が定めた『小諸眺望百選』や御代田町が定めた『浅間山八景』があるくらい、眺めが良いのだろう。しかしこの日は生憎、台風接近中の天気だ。
やがて道は、真楽寺入り口と出会う。近くに道路整備などで移されたと思われる大小六体の、おそらく六体であったであろう六地蔵と道祖神があった。長くから旅人を迎えてきたのだろう。どれも頭がないのと六体揃っていないのは、風化や移動で失ったのだろうか。

  道祖神と六地蔵

塩名田宿から約三里。昔の人にとっては遠い道のりも、今や車で30分ほどだ。
ふと、今の世の中のファストライフが、嫌に思えた。




旅人の 無事を祈って 道祖神
(真楽寺道を辿って)

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2009年10月11日 Posted by Le musicastre at 00:37Comments(0)小諸(新・小諸雑記BLOG)

真楽寺へ至る道 その1 ~塩名田街道~

午前中は持ちこたえていた雨も、台風の接近によって午後にはアスファルトに飛沫を跳ね上げるほどになった。それ以来雨は降り続いている。明日の天気が気になるのでネットの天気予報で調べてみると、8日の午後には新潟に達するらしい。
(ということは、長野県には今夜から明日の午前中の通過になりそうだな)
今日の仕事も愁いを残してすっきりしてないが、明日もあまり動きたくなくなるような雨だろう。今週は夜に仕事があったりで来週の12日まで休めそうにない。とにかく最小限なベストの方法を思案する。とりあえず、今日の愁いはお酒で洗い流してしまおう。


県道78号佐久小諸線は、浅科方面の得意先への行き帰りによく利用する。ここはかつて真楽寺へ向かう道が、この県道に沿って通っていた。塩名田宿にある道標の案内板には、そのルートが示されている。

 (真楽寺道標/佐久市塩名田)

塩名田から耳取を経由して加増に出る塩名田街道だ。北国街道を横切り、加増から塩野へ向かい真楽寺に行き着く道は真楽寺道だ。北国街道から真楽寺に向かう道の基点に道標がある。

いつも通っている二車線道路の脇に塩名田街道の面影がないだろうかと、普段は通らない耳取地区の中の細い道を行ってみた。
新しい道が出来たり住宅地になったりで、旧道の痕跡はないかも知れないが、たまには違う道を行くのもいい。
県道78号から入った道は、昔の県道伴野小諸線だった。県道78号が開通する前の車道だったのだろう。

この道沿いに神社が見えた。車を降りて鳥居に掲げられた板を確認すると、『弥美登里神社』とある。耳取地区の鎮守だろうか。歴史のありそうな樹木の境内は、マレットゴルフが楽しめるようになっていた。

 (弥美登里神社/小諸市耳取)

携帯からGoogleで調べてみると、平安時代に建立されれ、鎌倉時代には木曽義仲が挙兵の際勝利を祈願したとある。
平安時代というと、今から千年も昔だ。歴史ある由緒と共に、その時代からこの地区に村が形成されていた事に驚いた。
さらに毎年四月には例祭があり、ネットの写真をみると子供たちが舞姫に扮していて、それは今年行われたもので、浦安の舞を奉納したという。この例祭は三百年の歴史があるという事に更に驚いた。
普段何気に通り過ぎてしまっていたところのこう言った発見は、寄り道してみないと出来ないものだ。

境内の樹木は、近在にない大木の集まりという事で、小諸市の保存樹林に指定されていた。
なるほど、さっき境内に入って感じた通りの森だったわけだ。

耳取には玄江院というお寺がある。周辺は何やら工事の最中だ。小諸市観光協会のホームページで知ったのだが、丸山晩霞『釈迦八双図』が有名らしい。
(一見の価値がありそうだ)と、いつか訪れてみようと思う。


道はこれから難所にさしかかるので、一息入れたいと思います。と言ってもその難所は昔の話で、今は快適な車道の迂回に変わっています。
その難所も、当時とは多少様相は変わってしまってますが、実際に歩いてみれば、いかに昔の旅が大変だったかしのばれます。
一息と言っても、またまた僕の演奏ですが、今度はクラシックギターです。リュートを始める前はクラギを弾いていました。
曲はバッハ『無伴奏ヴァイオリンの為のパルティータ第1番ロ短調BWV1002』から「サラバンドとドゥーブル」です。間違いだらけで、一息どころではないかも知れません…。

では、つづきです。


旧県道はすぐに新県道に出た。しばらく行くと右手にゴルフ練習場があり、脇に仏舎利へ登っていく車道がある。その車道のほどないところに左折する小さな道がある。塩名田街道の難所、旧琵琶峠だ。比輪、比羽とも書くらしい。

 (旧比輪峠/小諸市小原)

峠道は、右手は糠塚山の斜面、左手は繰矢川に落ちる崖の、車幅ほどしかない細い道になっている。運転を誤れば、ここの伝説にある琵琶法師のように繰矢川に転落してしまいそうだ。
琵琶法師の伝説は以前このブログに書いたが、もともとの比羽という名前が琵琶に転化し、そのような伝説が生れたのだろう。
細い道は繰矢川を渡る橋に差し掛かる。琵琶掛橋と言う。先ほどの琵琶法師が転落する際、その琵琶がこの橋に引っ掛かったのでその名前が付いたらしい。

 (琵琶掛橋/小諸市小原)

だいたいこの橋までが与良という地籍で、橋の向こうが鶴巻と言う。
小諸藩主仙石秀久が城下を整備する時、与良、鶴巻の住民を村寄せして作られた町が、今の与良、鶴巻になっている。

 (六道欅/小諸市小原)

田んぼの中の道をさらに行くと県道と合流して、六道というところに出る。地蔵伝説がある場所だ。
塩名田街道はここからどのようなルートを通っていたか定かではないが、県道は国道に突き当たる。ここら辺は蛇堀と言う。そこから蛇堀川の沿った坂道を上ると、与良だ。
この蛇堀川は度々氾濫したらしい。真楽寺への道標がある辺りに与良橋が掛かっていたが、その都度流されたと言う。


これを書いている時点、雨も風も激しくなってきたような気がする。
市内の学校は休校になるところがあると聞いた。




台風の風雨 激しくなる中行く 古の道
(塩名田街道を車で走り)

地図はそれぞれ、
真楽寺道標 弥美登里神社 旧比輪峠 琵琶掛橋 六道欅

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2009年10月07日 Posted by Le musicastre at 21:07Comments(0)小諸(新・小諸雑記BLOG)