頬張れば 口に広がる 涼の風 〜生クリーム大福〜

気分にムラがある性格で、このブログも去年の今頃は毎日書き綴ったものだが、今年はたまに書くだけである。
決してネタがなくなったわけではないが、やはりそれは気分のムラのせいだ。


先日は伊勢崎での仕事だった。この仕事は二ヶ月に一度の頻度で行っているが、たまに遠くに出掛けるのも、毎日の仕事の中に変化を与え、それなりに気分転換になっている。
伊勢崎には偶数月で行っているが、去年の六月のブログを振り返ってみると、伊勢崎での仕事の帰り、赤堀花菖蒲園を見に行っている(細流の ように菖蒲が 風に揺れ)。

伊勢崎は意外にも、もんじゃ焼きが名物らしい。
なんでも、イチゴシロップもんじゃがあるというのには驚いた。

伊勢崎名物の有名どころといえば、焼きまんじゅうだが、実は僕は焼きまんじゅうが好きではない。
といっても、僕個人的な嗜好なので、群馬県の人は怒らないで欲しい。長野県人である僕が、信州名物おやきの一部を貶すのと同じだ。

伊勢崎でお土産になるような食い物はないかと調べたところ、『(冷凍)生クリーム大福』なるものが評判だと聞いた。
『妙ちくりん』という、へんてこりんな名前のお店の商品だが、買って食してみた。
これがなかなか美味い。コーヒー大福、ショコラ大福、抹茶大福、宇治金時大福など十種類近くある。




伊勢崎には仕事で度々行くので、よいお店を見つけたものだ。


さて、このような和洋折衷な大福、調べてみると作っているお店は多い。
僕の住む佐久平にも、同じような大福があった。『和泉屋菓子店』というところで出している『純生大福』というものだ。
冷凍のものを二十分ほど自然解凍して、回りのお餅がやわらかく、中の生クリームが半解凍くらいになったら食べ頃だ。

夏は身体が甘いものは受け付けないが、このヒンヤリ大福は食べられそうだ。

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2009年06月29日 Posted by Le musicastre at 22:46Comments(2)県外

よく見れば薺花咲く垣根かな(芭蕉) 〜伊勢崎神社〜

伊勢崎での仕事。
午前中の作業を終え、午後まで時間が空いているので、市街地を歩いてみた。
駅で名所案内板を確認する。歩いて行けそうなところに、伊勢崎神社があったので行ってみる事にした。
駅から伊勢崎神社へと辿った道は呑竜通りというらしい。呑竜通りと十字に交わる、飲み屋が軒を並べる細い路地を覗きながら歩いて行くと、程なく伊勢崎神社に着いた。




狭い敷地だが、由緒ありそうな重厚な社殿が見える。
鳥居の横に由緒書があった。
それによると、順徳天皇の御代 健保元年(1213年)三浦介義澄の創立したものと伝えられてるらしい。代々の赤石城主の崇敬が厚く、明治に至って氏子持ちとなった。大正十五年、旧称の飯福神社が、稲荷神社を始め町内数社を合祀して、正式に伊勢崎神社と改称されたという。

鳥居をくぐると、正面には嘉永元年(1848年)創建の、本殿・幣殿・拝殿からなる社殿があり、参道の右手に社務所、左手に神楽殿がある。さらに神楽殿の右側には稲荷神社と手水舎があり、近くに芭蕉の句碑があった。
『よく見れば薺花咲く垣根かな』

社殿の左側、そして裏側に回ると、社殿の壁には細密で見事な彫刻が施してあり、先ほどの鳥居の横の由緒書によると、この壮麗な彫刻は氏子の誇りなのだそうだ。
面白い事に、社殿の裏側にも鳥居があった。

  

伊勢崎神社の近くに、相川考古館がある。ここには琴を弾く埴輪があるそうで見たかったが、時間の都合で諦めた。

さて、仕事を終えた帰途、auショップから電話が入る。
洗濯機で洗ってしまった携帯がメーカーから戻ってきたそうである。
データは全て初期状態になってしまったが、新品になって戻ってきたようで、傷が消えてる。
¥5,250という金額は掛かってしまったが、ポイントで賄った。電池パックも新しくなって、またこのお気に入りの機種を長く使える。
安心ケータイサポートは、こういった時に入っていて良かったと思う。

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J.Dowland / Praeludium

YOU TUBEにUPした演奏に、驚いた事にコメントが付いていた。
このコメントをくれた人、僕のページをチャンネル登録しててくれる、なんとも奇特な人だが、喜ばしい事だ。
演奏の良し悪しはともかく、良い状態で録音したものをUPするべきだった。

YOU TUBEで『dowland praeludium』と検索すると、いくつかこの曲が表示される。どれも個性溢れる演奏だが、その中で面白いと思ったのがチャランゴという楽器で演奏したものだ。



素晴らしい演奏だ。




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2009年04月25日 Posted by Le musicastre at 00:19Comments(0)県外

養寿寺の 博徒の墓に 祈る運

午前7時半、国道18号を東に向かう。二ヶ月ごとにある、群馬での仕事だ。ほとんど国道ばかりの単調な道は、毎度毎度嫌になる。
今月は忙しかったし、結局今日になってしまったが、本社からは「いつ行くんだ」と急かされる。「こっちにも都合があるんだよ」と言いたいが、小心者の僕には言えない。心の中で舌打ちするだけだ。

朝から蝉が鳴いている。浅間山の裏の方から溢れ出てきた雲が、山の斜面を伝わっている。下り坂になるらしい天気の空は、所々厚い雲に太陽が見え隠れするが、東に向かうほど灰色の雲が立ち込めてきて、見えなくなった。

昨夜寝たのが遅かったので眠くなりかける。
そんな状態で車を運転しながら、昨夜、PCからmixiが開けなくなってしまった原因を考えてみる。色々いじってみたが、どうしてもIEから開けない。試しにfirefox3でも開こうとしたが、ダメだった。windowsに問題ありか?
(mixiには、しばらくはケータイからのアクセスになりそうだな)
と考えがまとまりかけると、(そう言えば…)と思考は別のところに向かう。

(来月は女子の日本リーグが山梨で行われるんだった)
これは観に行きたい。もちろん応援するチームは決まってる。会いたくて会いたくてたまらない選手がいるチームだ。まったく僕もいい年して相当なミーハーときたもんだ。おばさんがジャニタレで騒ぐのと同じレベルである。
(まぁ、運良く仕事が休みになればだが…)と行ける可能性の有無を思う。

軽井沢に入ると雨になった。碓井峠は霧だ。峠を降りると霧は晴れたが、曇天だった。間欠ワイパーを作動させるくらいの小雨が降っている。
まだまだ道程は半分以上ある。帰りも同じ道を帰って行くと思うと嫌になる…。

午前中の仕事を済ませ、午後もお茶漬けをかきこむように済ませ、市内にある国定忠治の墓に行ってみる事にした。幸い雨は止んでいた。
携帯からwikiで確認してみると、墓は二ヶ所にあるらしい。とりあえず近い方から行ってみようと携帯のナビをセットする。
この市が国定忠治の出身地だとは最近まで知らなかったが、なるほど、市内には国定町というのがある。


(善應寺の本堂)

最初に訪れたのは、善應寺。ここにある忠治の墓は、忠治のかみさんが建てた物らしいが、残念ながら墓そのものを確認する事は出来なかった。最近本堂を再建したらしく、まだ白木の香りがしていた。
忠治の墓は、次に訪れた方が有名だろう。養寿寺は市内の外れにあるって感じの素朴な寺だった。

 
(養寿寺の本堂と国定忠治の碑)

博徒だった忠治の墓は、ギャンブルに御利益があるという事で、墓石を削り取って持ち帰る人も多かったらしく、墓の周囲は柵で囲ってあった。競艇の町らしい話だ。
ちなみに僕は、飲む打つ買うはしない、品行方正な奴である…?


(国定忠治の墓)

さて、国定忠治というと赤城山だが、暑い時に食っているガリガリ君に連想が行き着く。ガリガリ君を作っている会社の名前がその理由だが、本社はここじゃないらしい。夏も終わり、ガリガリ君もしばらくはこの夏限りになりそうだ。

帰途、国道50号で思わずにやける(笑)。なんとか持ちこたえていた天気は、前橋から高崎に入る頃、雨になった。碓井峠はどしゃ降りだった。視界も悪く必死の思いで越えて来た。
軽井沢に入ると、
(今度群馬に行くのは十月か、何か面白い見ものはあるかな)と、仕事よりそちらの方に思いを馳せていた…。

帰り道の国道50号で、思わずニンマリした事についてはあまりに下らなく、自分の品性が知れてしまうので書かないでおこう。先ほど、自分は品行方正だと書いたばかりである…。

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2008年08月28日 Posted by Le musicastre at 20:20Comments(0)県外

細流の ように菖蒲が 風に揺れ

山の稜線には、霞が薄いサリーのように纏っているけれど、朝から快晴だ。
昨日までの雨で、水分を含んだ景色はみずみずしく、少しひんやりとした空気が肌に気持ちが良い。
しかしこの気持ちの良さも朝のうちだけだ。太陽が空の天辺に上って行くに従って、今度は暑さが肌にまとわりついてくる。

浅間山を左に見ながら走る国道18号線は(おそらく混んでいるだろう)と見越して、浅間サンラインから千メートル道路を行く。
千メートル道路は、いかにも軽井沢らしい林の中を行く道だ。木々の間から光が射すところと、光が葉に遮られて出来る陰のところと、車の走行に合わせてフラクタルに巡って、フロントガラスは光が点滅するようだ。
千ヶ滝の別荘地に入るとカーブは少しきつくなるが、千ヶ滝通りに出れば、中軽の駅まで道なりに下っていけばいい。
渋滞を避けられるのはここまでだ。今の時期はまだいいが、夏は混雑を避けるこのルートも慰め程度にしかならない。

プリンス通りを抜けて碓井バイパスに出る。ここまで来ると車の数が少ない。妙義荒船独特の、ゴツゴツした山々を見ながら走る峠道は快適だ。
しかし、横川に下ってからが長い。安中、高崎、前橋と、ほとんどが冷たい街並みに挟まれた国道や県道を走るので、変化がない。ダルくなってくる…。

現地着。約二時間余り、とっと午前中の仕事を済ませるとする。
午前中の仕事が終わってから午後の仕事に入るまで間があるので、何かちょっと見るものがないかと携帯から伊勢崎市のホームページを覗いてみる。
すると赤堀というところで、明日からしょうぶ祭りが行われるらしい。
ナビで調べてみると、仕事の現場から約六キロ。十数分で行けそうだ。



伊勢崎市街の道は、四月に来た時に寄った、ツツジが見事だった華蔵寺公園までは混んでいたが、そこを過ぎると郊外で、空いていた。
なんなく来れ、無料と看板のある農園の駐車場に車を止める。
農園の百合畑が見事だった。



道を挟んだ向かいが、しょうぶ園だ。国史跡とある。(何が国指定の史跡になっているんだろう)と疑問に思いながら歩いて行くと、案内板が疑問を解決してくれた。
その案内板を過ぎると、土手の下一面に菖蒲畑が広がっていた。いや、広がっているというより、二十メートルくらいの幅が、ずっと先まで川のように続いていて、その中に菖蒲が一面に咲いている。その長さは五、六百メートルほどあるだろうか、木道が整備されていて、歩けど歩けど菖蒲の川は途切れない。
木道にはガクアジサイが咲いていた。菖蒲が風に揺れる様は、川面のさざめきのようだ。
この菖蒲が咲いている「川」が、案内板に書かれていた国史跡である『女堀』なのである。

  

女堀は「おなぼり」と読み、九百年の歴史があるらしい。
帰宅後調べたところによると、「浅間山の大噴火で被害を受けた水田の復旧の為に掘られた用水路跡」との事だ。
整備されたのは、この五・六百メートルだが、堀の総延長は十二キロもあるというから驚きだ。
しかし未完成で終わって、水を流した事は一度もないという。
なぜ『女』堀というのか…。興味があって、これまた調べたところによると…。
命名は、女性蔑視が裏にあるようた。

  

そんな訳で、この史跡を保護する為に菖蒲園を作ったのである。この菖蒲、区民の人が総出で植えたとの事。地区のパワーの凄さを感じた。

  

伊勢崎での仕事は実質する事は僅かで、待機時間の方が長い。それなのにわざわざ出向いて行くのは面倒だ。しかし今回の伊勢崎でもそうだったように、素敵な発見がある。
僕は軽く昼食を済ますと、午後の仕事に向かった。

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2008年06月13日 Posted by Le musicastre at 23:55Comments(0)県外

小説に 出てくるまんま 平塚亭 〜聖地「西ヶ原」を歩く?〜

滝野川警察署を足早に通り過ぎる。左手に滝野川公園を見ながら、滝野川消防署を過ぎると、あの『平塚亭』があった。なんと開店しているではないか!
以前から北区に訪れる機会があるのは土曜日で、この土曜日っていうのは、平塚亭は定休日だった筈だ。
(なぜ開いているのだろう?)と思ったが、開いている毎に感謝した。
平塚亭は、『平塚神社』の角にある。僕は平塚亭による前に、平塚神社を詣る事にした。
参道は欅並木だが、その両脇はなぜか賃貸駐車場だ。
平塚神社の祭神は源義家で、義家が奥州征伐遠征の凱旋の帰りにこの地に立ち寄り、鎧を埋めたのが縁起になっている。
平塚神社が登場する浅見シリーズで印象深いのは、平塚神社の境内が殺人事件の現場となった『金沢殺人事件』だろう。


(平塚神社)

神社を詣った後に平塚亭による。初の訪問である。有名ではあるけれど、古くてごくごく普通の団子屋だ。
店にはふたりのおばさんが店番をしていたが、
「ここ、あの有名なお団子屋さんですよね」と聞くと、店の奥から真ん丸な顔をしたおばさんが出てきた。
この人が作品の中に登場する「大福おばさん」だ。小説のまんまである。
大福おばさんは僕を床机に座らせると、内田先生や浅見シリーズについて、色々と話をしてくれた。
おばさんは話好きらしく、止めどなく話題が溢れてきた。
娘さんにも言われるそうである。「浅見さんの事を話し出すと止まらない」と。
面白い話がたくさん聞けたが、時間は限られている。僕は串団子と豆大福を買って、心残りな感じで店を出た。


(平塚亭)

そうそう、なぜこの日にお店が開いていたのか、聞いてみた。
浅見光彦に関するミステリーツアーや、浅見シリーズが有名になるにつれて、北区でもイベントが多くなって訪れる人が多くなり、土日に開けざるをえなくなったと苦笑していた。


(平塚亭の包装紙)

某ボールに戻ると、OB門下生による演奏がそろそろ始まるところである。
ギター界で活躍する何人かの演奏を聴くが、水戸茂男さんのビウェラの演奏を聴けたのは良かった。


(北トピアのステージ)

曲はナルバエスの『皇帝の歌』だ。この曲は、僕も度々リュートで弾くけど、曲の表情がまったく違い、こうやって弾くのかと思った。
(帰ってから真似してみよう)

こうして、現実と小説の中とがクロスオーバーする、短い旅は終わった。

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2008年06月01日 Posted by Le musicastre at 21:30Comments(2)県外

飛鳥山 時間を忘れ 散策す 〜聖地「西ヶ原」を歩く?〜

身内のギターの発表会が行われる、北区の某ホール。身内の出る部が終わってから、昼食にし(車で来てないとランチビアが飲めるのは嬉しい)、OB門下生による演奏の部まで時間があったので、王子から上中里にかけての西ヶ原一帯を歩いてみた。ここは僕にとってはもちろん、あるファンにとっては聖地である。
発表会は何年か前に、北区の王子にあるこのホールになったけど、ここでやらなければ毎年来る事はなかっただろう。それがこうして来ているのは、内田康夫氏の小説の主人公、浅見光彦の住む街だからだ。
第一の聖地が西ヶ原だとしたら、第二の聖地が軽井沢とするのは、軽井沢が内田先生の住む町であるから、妥当なところであろう。

この一帯には見所がたくさんある。そう言うのはアサミスト(浅見光彦ファン)の目からすればだろうが、ファンでなくても、西ヶ原一帯の散策は楽しめると思う。
今日は散策と言えるほど歩く時間もないので、本郷通りに沿って平塚神社まで行く事にした。
王子の駅から飛鳥山公園を抜けて、本郷通りに出る。


(飛鳥山公園)

飛鳥山公園は、小高い山、というより丘で、都内で早くから桜の名所だった。徳川吉宗が、庶民にも花見を楽しんで貰おうと桜を植えたのが始まりだという。
今日初めて気が付いたのだけど、『桜の賦の碑』というのがあった。見ると佐久間象山の作だと書いてある。長野県に関係のある佐久間象山に、ここで会えるとは思わなかったが、桜の賦は佐久間象山が桜の美しさを讃えて作ったとの事だ。


(桜の賦の碑)

そんなんだから、飛鳥山公園には桜の季節には来たことがないけど、満開の時期はさぞかし綺麗なんだろう。
桜の季節でなくても、ここには紙の博物館、飛鳥山博物館、渋沢史料館の三つの博物館があるし、見所は豊富だ。
ちなみに浅見のファンからすると、浅見は父親が亡くなった時、ここに訪れていたし、小さい頃によく遊んだ場所として馴染みがある。

本郷通りに出て駒込方面へ向かう。本郷通りと直角に明治通りが延びている。この通りは都電が走っていて、飛鳥山を下りると、ちょうど早稲田行きの車両が通り掛かった。都電を見ると、何となく下町の匂いがする。


(都電)

本郷通りをしばらく行くと、一里塚がある。
日本橋から二里目にあるこの一里塚は、都内に残っている唯一のものだそうで、国史跡に指定されている。だから、この大通りの方が一里塚を避けて迂回しているのだ。


(一里塚)

この一里塚のところに滝野川警察署がある。警察署にはあまりお世話になりなくないものだが、そんなところを好んで首を突っ込みたがる人がいる。それが浅見光彦だ。
光彦の住んでいる地区の管轄だから、浅見は何かと関わる事も多くなる。
これから行こうとしている平塚神社の境内で、浅見はある殺人事件に遭遇するのだが、その管轄が滝野川署だった。


(滝野川警察署)

玄関から小堀刑事課長が飛び出してきそうな、空想と現実が交錯する。
(つづく)

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2008年05月31日 Posted by Le musicastre at 22:44Comments(0)県外

上州道中車中徒然〜ツツジの公園〜

フロントガラスに朝日が射し込んでくる。この時間、東に向かうと、前方の信号が眩しくて見えない。
国道18号の上り線は、大型連休のせいか車の数も多く混んでいた。
(日にちの選択を間違えたかな…)と、前方のテールライトの列を見ながら思う。
(軽井沢を抜けるまでは我慢だな)と諦めた。
二ヶ月に一度、仕事で群馬県某市に向かう。グリーン高速を使えば時間は掛からないが、お金は掛かる。高速代は会社から出るが、後払いである。当面のお金に困っている自分は、なるべくお金を掛けないようにしている。

碓井峠を下りると景色は様変わりする。閉所(狭所)恐怖症というのがあるが、僕は広所恐怖症かも知れない。関東の広い平野は、取っ掴まるものがなくて不安だ。その不安を心理分析すれば面白い結果が期待出来そうだが、所詮は信州の盆地の中の暮らしが長い山猿だからだろう。

長距離を走ると、油量計の指針がみるみるエンプティに近づいていくような気がする。
123円、124円、125円…。安中から高崎の道路沿いで見掛けるガソリンスタンドの、レギュラー1リッター当たりの価格だ。僕の住む小諸より安い。暫定税率は復活するのだろうか、国会が気になる。
(1リッター160円以上もすれば車に乗れないな)今年車検をむかえる車をどうしようかと考える。
仕事は会社の車だけど、やはりガソリンを使いすぎるのはマズイ。効率的に乗らないと本社で注意されるかも、と思いながらも、会社の車で帰宅しちゃったりもしている。

こんな感じで、とりとめのないことを頭に思いながら、運転しながら、二ヶ月に一回、そこに仕事に向かうのである。

小諸から凡そ100キロ。某所で暫し仕事である。

お昼にしようと止めた駐車場は、観覧車やジェットコースターを備えた大きな遊園地のある公園のだった。その時、たまたまつけたラジオは、なんとこの群馬県某市からの中継だった。



放送中のラジオ番組によると、名物はもんじゃ焼きだそうである。もんじゃというと、東京下町の、僕には口に合わない食い物だが、ここの名物だとは知らなかった。
弁当をかき込むと、ちょっと見学して行く事にした。連休中のせいか平日にもかかわらず混んでいた。
ここは桜とツツジの名所らしく、真っ赤なツツジが見事だった。
今、花まつりが行われていて、そう言えば各所に花まつりのお客の為に臨時駐車場が設けられているのをみた。連休後半はかなり混みそうだ。



園内を散策しながら思ったが、少し歩いただけで大きな立派な公園だとわかる。それに遊園地は入園無料で、各アトラクションを利用するには、それぞれの券を買うらしい。それもそれほど高くない。
(そういえば、近くにオートレース場があったなぁ)と、これだけの施設が安い理由を想像する。
オートレースが案外、市を潤しているのかも知れない。

帰路。
同じ道を今度は西に向かう。西日が眩しい時間だ。同じ道をまた100キロ戻るのはウンザリだが仕方がない。
碓井峠に差し掛かる。ここを過ぎれば後一息だ。
40数ヶ所のカーブを曲がる度、標高が高くなって行く。ちょうど長野県の県境を越えると下り坂だ。上って来た距離よりもこの下りは短い。
右手に浅間山が見える。
今日みたいにわずかな移動の時さえ、浅間山が見えると、
(帰って来たんだなぁ)と思う。

退社。
携帯のWebでニュースを確認。
(国会は租税特別措置法改正案をを再可決かぁ…)と知ると、すでに空になりかけたマイカーを、ガソリンスタンドに向けた。


帰宅後。
昼に立ち寄った公園だが、PCからインターネットで調べてみた。
そしたら公式サイトがあった。
感の良い人なら、ここがどこかおわかりだろう。
僕が説明をツラツラ書き記すより、サイトを見てもらった方が手っ取り早い。

PC
http://www8.wind.ne.jp/kezouji/

携帯
http://www8.wind.ne.jp/kezouji/i/index.html

長野県東信辺りからだったらそう遠くない。うちの子供が小さいうちに知っておけば良かった、と後悔した。

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2008年05月01日 Posted by Le musicastre at 00:10Comments(0)県外

お台場冒険王〜KDDIデザイニングスタジオ

僕自身も、大学生の子供たちも、『お台場冒険王』を観るって歳でもないが、「めざましテレビ」や「めちゃいけ」、「ヒーロー」や「のだめ」など、エンターテイメントやドラマなどは、案外フジテレビ系を観る事が多いし、特に子供たちは「めちゃいけ」や「はねトビ」など馬鹿笑いして観てる事だし…、行って来た。

東京へは新幹線の利用が便利だし、費用の面では高速バスがいいが、時間の融通性を考えて車にした。
車で行くと駐車場に困るが、僕の場合、東京に車で行った際は、練馬区の文化センターの駐車場を利用する事にしている。なぜならそこは練馬駅に近いし、四時間以上翌日を越えない限り一定料金だからだ。
とりあえず新宿に出てしまえば、後は地下鉄やJRでどこへでも行ける。

新宿で上の子と待ち合わせ。その際、すれ違いのトラブル。待ち合わせ場所をしっかり確認しておかないと、迷いやすい。
何だかんだと無事合流出来て、汐留まで向かう。汐留からお台場までは「ゆりかもめ」だ。「ゆりかもめ」や「フジテレビ社屋」が出来てからのここには初めてだ。
お台場に向かう乗車客でかなり混んでいた。もちろんお台場に向かう人たちがほとんどである。
ゆりかもめは自動運転されている車両だ。中央管制室で運行を管理されているとはいえ、無人の「機械」によって運ばれているのを思うと、少し怖いような気がする。
「ゆりかもめ」は途中円を描くように進むが、これは湾岸の風景を楽しめる配慮からだろうが、混み合った車内から外を眺めるゆとりはなかった。
しかし、あの大きな観覧車やレインボーブリッジ、「はちまる」の特徴的なフジテレビ社屋が人群の車内から僅かに望めた。

会場は午前の早い時間にも関わらず、人の波みは湾岸の波より多くうねっていた。


KDDIデザイニングスタジオに行った。原宿駅から竹下通りを突っ切った向こう側にあるが、竹下通りの、しかも若者か外国の観光客が目立つ、あの人混みの中を縫うように歩くのは苦手だ。
自分には場違いな場所をなんとか抜けると、KDDIデザイニングスタジオに着く。入り口の巨大なリスモくんに迎えられる。
リスモとはauのキャラクターだが、僕はauシカという沖縄限定のキャラクターの方が好きだ。
携帯キャリアのキャラクターでDoCoMoはドコモだけという可愛いキャラクターがいるけど、最近のコマーシャルに出てこない。ソフトバンクもボーダフォン時代は栗のキャラクターがいたが、ソフトバンクになってからみなくなった。コマーシャルというとソフトバンクのが一番面白い。
「何でお父さんが犬なのか?」有り得ないけど、何かもっともな理由があるんではないかと、明らかになる事を期待してしまう。
有り得ないというと、DoCoMoのコマーシャルは2in1で長瀬が二人になるが、これは有り得なくても、何となく機をてらった面があるし、auはかつての勢いがなくなったような気がする。
コマーシャルを観ると、これからはソフトバンクが伸びそうな気配だ。

話が逸れたが、デザイニングスタジオではいくつかのホットモックを触ってきた。
地方のショップはホットモックを置いてあるところは少なく、ここでは色々な機能を試す事が出来て、携帯選びの参考になる。しばし遊んで、リスモくんグッズを買って帰った。

自宅到着目標は22時。何故なら『風林火山』に間に合うようにである。
この大河ドラマの今後の展開は、真田幸隆が活躍しそうだ。
真田家は、地方の小豪族とはいえ、僕の最も好きな武将である。

幸隆の子の昌幸、その子の信之と信繁。
戦国の混乱の中で、家も名も残し、真田家は地方の大名として明治まで続くし、関ヶ原、大坂の陣での名声は今でも語られる。
真田が徳川の大群を僅か十分の一の兵力で打ち破ったのは、庶民の協力があったからだという。  

2007年08月06日 Posted by Le musicastre at 18:23Comments(0)県外

風林火山博

就職活動の為帰省していた子供を送り届けるついでに、甲府市に立ち寄った。
長期の休みなどで帰省していた子供を車で送って行く時は、どこか数カ所観光スポット(あるいはようなところ)に立ち寄る事にしているが、今回は甲府市で催されている「風林火山博」を見て行った。

自分にとって山梨は縁があるところで、親戚に聞くところによると、先祖は武田二十四将のひとりであると言う。何かが流行るとそれに便乗して、○○に縁(ゆかり)がある物や人が突然現れたりするが、その話もまぁそんなところだろう。

子供の実家での滞在期間は、大学の麻疹の影響による休講で一週間ほど延びたが、一社内定も決まりそれなりに収穫があったようだ。まだ何社かと県職の試験はあるが、とりあえず心置きなく臨める筈だ。

甲府は武田氏の館、躑躅が崎があり、川中島の戦火を裂ける為、善光寺本尊を移した甲府善光寺がある。諏訪頼重や長男を自害させた東光寺など、武田氏縁のものが数多い。
それだけに「風林火山博」は、武田氏に関する歴史や逸話の説明は細かく興味を惹かれたし、大河ドラマの展示物は今後ドラマを観るにあたっての興味を掘り起こしてくれた。

今は検定ブームではないかと思えるほど、色々な検定がある。長野県にも信州検定や松本検定など。例に漏れず、武田検定なるものがあった。
その体験版を会場の一角にあったコーナーでパソコンで出来るようになっていて、自分もやってみた。
全百問ある中からランダムで十問が表れて、それに回答するのだが、戦国時代の歴史好きを自称する自分ではあるが、なかなか難しい。正解はなんと十問中四問。子供たちはそれぞれ六問と八問の正解であった為、これでは親の威厳が…。プリントアウトした答案をそっと隠した。

地元小諸では、風林火山の幟を立て観光誘致に一生懸命だが、お隣の佐久市にはこの幟、まったく見掛けない。
聞くところによると、佐久は信玄に侵略された土地である為だとの事。特に志賀城に籠城する兵士の士気を削ぐ方法は悲惨であった。
四百何十年も前の出来事だが、因果は現代まで続いているのだろう。
佐久ではそうでも、やはり地元にとっては英雄だ。甲府では信玄と呼ぶと怒られるらしい。信玄公と言わなければいけない。
世の中斜に構えた若者は、先生の事を先公と呼ぶが、むしろ敬った言い方なのだ。

以前、山本勘助の墓が北杜市にあると聞き、訪ねつみた事があった。山本勘助は川中島の合戦で命を落とし、やはりそこにも墓がある。いったいどちらが本物だろう。実は山本勘助の墓はまだ他にもあるらしい。
ひとりの人物の墓が各所に点在している例は意外と多い。
小諸の大久保に、武田信繁の墓がある。
信繁も川中島で命を落としたが、その遺骸をとむらったのが典きゅう寺でお墓もある。
ふたつある墓。これはどちらも本物だ。その理由は…。

小諸で風林火山縁のスポットというと、この信繁の墓と懐古園が代表だろう。しかし佐久小県には志賀城の例のように、戦場としての場が多い。
信玄の家臣の中でもっとも好きな板垣が落命した上田原や、武将の中でもっとも好きな真田家の祖、幸隆が攻略した砥石城などは上田だ。
板垣は信玄の守役だが、信長の守役の平手など、守役には魅力的だと思える人物が多い。やはり守役にはそれなりの人物がふさわしいのだろう。  

2007年06月05日 Posted by Le musicastre at 20:51Comments(0)県外

風林火山館〜神代桜

甲府の気温は29度もあったらしい。
僕の住む長野より、季節は二週間ほど先にいっているようだ。
長い春休みを終え、再び大学生活最後の一年を過ごす息子を送って行った道中、戦国時代好きの彼に合わせ(もちろん僕もであるが)、風林火山館に立ち寄った。
ここは今大河ドラマでやっている風林火山の躑躅が崎城のロケの為に作られ、ひとつの名所として観る事が出来る。言うまでもなく、武田信玄の屋敷跡だ。
当たり前だが、テレビの画面で観るそのままが、ある。
大河ドラマは年々によって当たり外れがあるが、風林火山は面白い。信玄は山梨の武将だが、どちらかというと、侵略された信州に縁が深いように思う。
信玄の初陣である海ノ口城は、国道141号を通る度見ておきたいと思っていたが、ドラマが始まるまでは、その入り口さえわからなかったが、今では大きな案内板がある。ドラマの影響で訪れる人も多くなったそうだ。
海ノ口城としてロケが行われたのが千曲市の城山公園の上にある、かつて村上義清の支城であった荒砥城跡だ。千曲の流れを見下ろす最高のロケーションにある。

道中は時間が限られる。観光出来るところは後一カ所くらいなので、日本武尊が植えたと言われる神代桜を観に行く事にした。何と樹齢二千年らしい。
この桜の木は北杜市の実相寺にある。
このお寺は神代桜だけでなく、境内一面に咲く水仙も見事だ。
南アルプスを背景に、桜と水仙の風景は美しい。一眼レフのカメラを持つアマチュアカメラマンが何人も、それぞれが自分なりのベストポジションでカメラを構えていた。  

2007年04月01日 Posted by Le musicastre at 23:00Comments(0)県外