世の無常 映す静かな 井戸の水 ~虎御前 姿見の井~

朝、ポタンときた雨に、
(雨の準備をしておくんだった)と後悔しても、もう遅い。
午後になって止んだが、午前中のまとまった雨でびしょ濡れだ。


昨日、上田から立科経由で佐久に向かう。国道18号から141号を行く普通のルートと、距離的な差はわからない。
通り慣れた道と違う道を行くのも、変化があってたまにはいいかと思う。
仕事で使う車には、営業車には珍しくCDが付いているので、音楽を聴きながらの運転だ。
聴くのはJ-POPクラシックなど様々だけど、最近では『凛』がお気に入りだ。それでも頻度はリュート音楽である。

聴くのも弾くのもハマっているのが、カプスベルガー、ピッチニーニ、ザンボーニなど、初期バロック期の作曲家たちの作品だ。ルネサンス期とは違う、バロック音楽独特な響きが心地よいのである。
ルネサンスの芸術は規則正しく均整がとれた感じだが、バロックの芸術はそういった均整のとれたものを壊したイメージだ。だから『バロック』という名前がついた訳だが…。
先ほど揚げた作曲家たちの中でも、ザンボーニの曲は旋律が美しい。弾いていて心地よいから、技術的なレベルは未熟ではあるが、それなりに弾いて楽しんでいる。
プロではないのだから、自分の楽しみのうちで弾くのは勝手だろう。
そんなわけで弾いてみたのが、ザンボーニのソナタである。ここで弾いてみたのは第6番で、第1曲目のアルマンダだ。
このソナタは、4つの舞曲からなる組曲で、僕は一生懸命暗譜したので、何とか楽譜を見ないで弾ける。でも暗譜しても、しばらく弾かないとあやふやになる…。

さて、先ほど雨がフロントガラスに当たったが、薄日が影を作っているくらいなので、今日一日の天気は持ちそうである。
刈り入れが始まった田んぼの中の道を行くと、何やら案内板が通り過ぎた。
こういったものに、ついつい興味を持ってしまう質だ。後から車は来てない。僕は車をバックで先ほどの案内板まで戻した。
案内板には『虎御前 姿見の井』と書いてある。



(虎御前?)僕は首を捻った。
恥ずかしい話だが、僕は虎御前の名前を聞いた事がなかった。
その場で携帯からネットで調べてみると、あの有名な曽我物語の兄十郎の愛人だという事だ。
有名なと書いたが、僕は仇討ちの話という事くらいしか認識がなく、物語の筋はまったくわからない。

そんなわけで、虎御前の名前は知名度が高く、各地に虎御前の言い伝えがあるらしい。
ネットで調べていて驚いたが、善光寺にも虎御前の足跡があった。
何でも十郎の菩提を弔うために出家し、善光寺に来たからだ。
善光寺は度々訪れていて馴染みだが、全然知らなかった。

有名な話というと、後にあれこれ脚色されて後世に伝わるが、そもそも水戸黄門でもあるまいし、900年も昔の女性が全国に足跡を残せるわけはない。曽我兄弟の話も男の仇討ち物語の花を添える為の想像で産み出された女性かと思えるが、実在した人物らしい。

さて、『虎御前 姿見の井』は立科町にあったが、この地帯は古くから虎御前というらしい。
『虎御前 姿見の井』から道を挟んだ向かいに、虎御前神社と彫られた石碑(下の写真の左)があった。碑の裏には明治三十二年とある。
その神社は虎御前の霊が祀られていたのだろうか。

 

井戸(上の写真の右)は直径1メートルもない石積みのもので、六角形をしているらしい。らしいというのはネットにそう書かれていたのだが、実際の見た目は分からなかった。草に被われた井戸の中を覗いてみると、泥水を湛えていた。
草に阻まれ、自分の姿は映らなかったが、微動だにしないその水面は、静かに世の無常を映してきたのだろう。

そこからしばらく行くと、立科町牛鹿という地名があった。
鹿か、面白いな)と思った。


朝、雨に濡れたせいで風邪をひかないようにしないと…。高原の町小諸も、夜は相当に寒い。
先日実家に行ったらコタツの用意がしてあった。そろそろコタツが恋しくなってくる。
しかしコタツに入ってしまうと、コタツから出る気がしなくなってしまう。あの心地よさには魔力がある…。




世の無常 映す静かな 井戸の水
(虎御前 姿見の井を前にして)

曲は…Zanboni / Sonata6 from"D'Intavolatura di Leuto"/LUCCA 1718 /演奏は…Le musicastre

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2009年09月29日 Posted by Le musicastre at 19:10Comments(0)立科

境内の 吹く風優し 秋日和 ~津金寺の秋~

(この道は最近通ったな)と思ったが、それがいつだったか、何の帰りだったか定かでない。まったくの記憶力のなさだけど、まぁこの歳だし仕方がない。
おそらく今日と同じだったんだろう。
途中、この前とは明らかに違う道を行っている。違うと認識出来たという事は、まんざらでもない。「記憶力のなさ」は撤回しても良さそうだ。

遠くに蓼科山が見えるその道の途中で、古い山門があった。この山門は記憶にある。過去に何回か通ったことのある道だ。



古い山門に、由緒ありそうなお寺の予感を感じながら、僕は初めてお寺の駐車場に車を止めた。その予感を感じながらも、過去は通り過ぎるだけだった。
そのお寺の名前を見て、僕は(ああ)と思った。
津金寺、有名じゃないか)
ここはカタクリが有名で、いつかカタクリを見てみたいと思ってたお寺だ。もちろん今は時期ではないが、僕は境内を歩いてみた。先ほど山門と思ってたのは仁王門で、潜った先にかんのんばしがある。この橋を渡ると境内だ。



正面に観音堂、観音堂の左隣には阿弥陀堂がある。右手にあるのは妙見堂だ。
観音堂の裏にあるカヤやケヤキ、スギなどの大樹がある遊歩道を60メートルほど登ったところに宝塔があり、これは滋野氏を供養するものらしい。1200年に建てたと看板に書いてあったからかなり昔だ。

滋野氏というと、望月氏、海野氏、祢津氏に分かれ、真田幸隆、昌幸、信繁(幸村)などで有名な真田氏は、その海野氏の支流といわれる。



遊歩道を登っていると、どこかで運動会をやっているのだろう、遠くの歓声が聞こえてきてた。
空には雲ひとつない運動会日和だ。駐車場の、すでに時期を終えたが爽やかな微風に揺らめいて、穏やかなシルバーウィークの一日である。
帰途の最中なので、ゆっくりとはしてられない。僕が駐車場に戻ってくると、何組かの観光客が訪れていた。




境内の 吹く風優し 秋日和
(津金寺の境内にて)

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2009年09月21日 Posted by Le musicastre at 14:54Comments(0)立科