真田神社 〜上田城跡公園の桜〜

このナガブロも二周年だそうである。
実はその頃、ここでブログを始めたが別のブログサービスを利用していたので、一度退会してしまった。今思うと、ナガブロスタート時から続けていればよかったと思う。

再びナガブロに入会し、ここでブログを始めてから一年が経った。内容の良し悪しは別として、よく続いたものである。
最初の記事は、上田城跡公園へ花見に行った事を書いた(ここを参照)。
ちなみにそれ以前の日付の記事があるが、それは別のブログサービスからインポートしたものだ。


そして一周年、再び上田城跡公園に桜を見に行った事を記して、また一年続けていけたらと思う。





去年とまったく同じだ。薄曇だけど暑い日、違うのは天候だけだ(ここを参照)。
観光駐車場は満車だったのでハローワークの方に車を止め、観光駐車場から園内に上って行く。そして、園内をグルリと一週して来た。

上田城址に真田神社があり、参拝で列を作ってた。お参りで列を作ってるなんて二年参りでしかみない光景だ。
それに若い女性も多かった気がする。





最近戦国ブームで、これはゲームの影響らしい。うちの子供がやっている戦国無双とか戦国BASARAってゲームに出てくる真田幸村は、ジャニーズ系の超イケメン。実際は、幸村自身が書いた手紙には、自分は歯も抜け落ちたオッサンだって言ってる。
そんなわけで、真田幸村人気は、大大名の家康や秀吉や信長を抑えて高い。

今放送しているNHKの大河ドラマ『天地人』にも真田幸村が出てくるが、配役が城田優。超イケメンだ。
僕も歴史の中の幸村は好きである。





上田城址公園には、花見にかかわらずこの一年の間に来たが、何回訪れていても、その度その度、新しい。

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2009年04月13日 Posted by Le musicastre at 19:09Comments(0)上田

見上げれば 彩る紅葉 舞い落ちて 〜けやき並木の散歩道〜

紅葉の時期になると必ず中継される、上田城址公園のけやき並木。
行ってみたいと思いながらも行けず、結局季節は冬を迎えた。
上田には度々行っているのに、うまい具合にタイミング合わない。以前見に行った時から、もう四年も経ってしまった。



 上田城址公園。
 櫓が三基残っている。十数年前に大手門が出来て、天守はないが見栄えも良くなった。
 地方の小城で何の特色もないが、真田昌幸が城主だった頃、二度も徳川の大群を打ち破った事で名を馳せた。武田勝頼が織田の軍から逃れて城を捨てた時、落ち着き先を小山田氏の城か真田氏の城を候補に上げていたというが、もし小山田氏じゃなく真田氏を頼っていたら、天目山での武田氏滅亡はなかったのではないかと、この小城を見て思うのである(その当時、真田の居城は上野岩櫃城)。
 上田城は真田、というイメージがあるが、実際は、真田氏が上田に居城した期間は少ないのである。真田氏の後の仙石氏が80数年、その後の松平氏が160数年。そして真田氏は40年ほどなのである。それでも上田城は真田の城なのだ。
 
 地元の城だが、花見の季節以外はそれほど訪れる機会はない。しかし、春の桜の季節もいいが、この時期は紅葉が綺麗なのだ。特に外堀だったところにあるけやき並木の紅葉は美しい。


 その日、僕は職安の向かいにある観光駐車場に車を停め、近道の坂を登った。平日だというのに、ここに来ている人たちは多い。観光バスや県外ナンバーの観光客、ベビーカーを押した若い主婦たち。堀の回りをジョギングする人たち。そして、僕のように得体の知れない中年。
 紅葉が美しいけやき並木は外堀だったところにあり、遊歩道になっていてカメラを構える旅人もいる。僕はそこを散策してから、本丸を囲む内堀沿いを歩いた。

 以前ここを散策した時、なんかのドラマのロケをやっていた。小堺一機と矢部美穂がランニングしてるシーンを撮影していたと思う。そういえば、上田は映画のロケが多いらしい。「卓球温泉」、「リング0バースディ」、「学校の怪談4」、「さよならクロ」、「スパイ・ゾルケ」、「たそがれ清兵衛」。最近では「草の乱」、「血と骨」などきりがない。
 
 秋の日差しが暖かく、それぞれの人たちが思い思いに散策にふける、長閑なひと時だった。


 散策中に浮かんだ一首。

「見上げれば 彩る紅葉 舞い落ちて 葉漏れ日揺らす けやきの並木」

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2008年11月28日 Posted by Le musicastre at 01:20Comments(0)上田

岩鼻の 絶壁の上から 見下ろせば 〜岩鼻の大治水工事〜

千曲川を遥か下に見下ろす場所にあるからか、絶壁の上の平地を吹き抜けていく風はベビーパウダーのように、肌にまとわり付く汗を引かせていく。
気温ばかりが高く、湿度ばかりが高い梅雨時の不快な気温を逃れて、心地よい場所へと移動したくなる。
外回りをしていると、特にこの時期は、そんな心地のよい場所のリストが増えてくる。
ここもそうだ。


上田市岩鼻。
山が千曲川に向かって絶壁になっていて、国道を挟んだ向こう側から見ると、その絶壁に大小二つの穴が開いている。見ようによっては鼻に見えない事もない。
その向こう側も塩尻岩鼻といい、同じような地形になっている。

こんな話しがある。昔、ここ上田岩鼻と対岸の塩尻岩鼻は堤防のようにつながっていて、上田盆地は一面の湖だった。湖の西側にネズミがはびこり田畑を荒らしたので、唐猫を集めて追わせた。逃げ場を失ったネズミは岩山を食い破り、湖の水は千曲川となって流れだし、一帯は陸地になった。

確かに、堤防が削り取られたようだ。上田市の隣の坂城町には「ねずみ」という地名があり、ここはねずみがはびこった西側だ。
実際、山を削り取るほどの大ネズミやそれを追った大きな猫はいる訳はない。この話は、治水工事の情景を例えた話だと言った郷土史家もいる。
山肌を削るブルドーザーがネズミで、それを追う猫がダンプカー。ブルドーザーもダンプカーもその当時にある訳ないから、昔の人はそれをネズミと猫としか説明のしようがなかったのだろう。

(当時の人ではない未知の人々、未来人か宇宙人かの手によって工事が行われたのだ)
日本百景にも選ばれた、岩鼻の絶壁の上にある千曲公園に立って景色を眺めながら、そんな空想をするのも面白い。



木立の隙間から坂城方面が望めた。天気が良ければ、ずっと善光寺平までもが見通せるそうだ。
僕はじっと目を凝らしてみたけど、遠くの風景は霞の中に埋もれていた。

『岩鼻の 絶壁の上から 見下ろせば 千曲の流れ 連綿といく』

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2008年07月04日 Posted by Le musicastre at 00:54Comments(2)上田

あの人の 横顔愛しい 赤い頬 〜思い出の場所〜

帰り道、ふと立ち寄りたくなった。
近くを通りかかると、何故かハンドルを切っていた。
あの頃、ここにはよく来たものだ。



あの日、初冬の雪が降った境内を、歩いた。
お気に入り風景を共有出来る事が嬉しかった、思い出の場所である。
ここに立ち塩田平を見渡す。
数年の月日は経過したけれど、あの頃と同じ風景の中に「想い」も残っていた。
それを確認すると、僕はイグニッションキーを回した。

思い出の引き出しは、
いつも開けて中を確認するものではなく、
その引き出しの中に、
忘れられない「思い出」があるという事だけを忘れていないなら、
それでいいのかもしれない。

地図は秘密

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2008年06月17日 Posted by Le musicastre at 00:21Comments(0)上田

真田温泉 〜真田の庄2〜

一昨日、長野県は梅雨入りしたようである。
なるほど、昨日は梅雨らしい、鬱陶しく冷たい雨の一日だった。

さて、御屋敷公園 〜真田の庄1〜のつづきを、あまり日が経たないうちに記しておこう。


どこかに出掛けたら、やはりその地の温泉に入る、と思うのは僕だけじゃなく、みんながそうだろう。

上田市真田町には、真田温泉がある。真田氏歴史館から国道に下り、菅平方面に向かってすぐ左手だ。正式名称は『ふれあいさなだ館』といい、近くに『食の体験館ゆきむら工房』がある。



ふれあいさなだ館は、温泉と温水プールがあり、大広間と個室、売店や食堂が利用出来る。
お昼も過ぎていたので、食事にする事にした。メニューはどこの温泉施設にあるようなものが一通りある。麺類から定食まで、味はともかくも種類に困る事はないだろう。
真田氏にまつわる史跡を巡って、最後は温泉と食事って利用が出来そうだ。

僕はキツネそばを頼んだ。麺は冷凍物である。もちろんけういったところで、生麺を期待するのは無理だ。
頼んだものは大広間に持って来て食べる事が出来る。休日に関わらず、広間の座卓に空きがあったから、それほど混んではいなかった。しかし浴室はと見ると、ほどほど混んでいた。
泉質は…、手にしたチラシによるとアルカリ性単純温泉。源泉は三十八度。それほど熱くはない。
小さいながら露天もある。天気が良かったから、もう少し空が広く見えるところだったら、気持ち良いだろう。

ちなみに気持ちが良い露天というと、山梨のフルーツ街道の天辺に、『ほったらかし温泉』がある。お気に入りの温泉で、山梨に行ったおりにはたまに入ってくるが、ここの露天は凄い。明け透けなのだ。何もまとわぬ姿で、大きく深呼吸する事をお勧めしたい。ほんとに気持ちが良い。

余談だが、ふれあいさなだ館のトイレに写真のような『謎のシール』という案内があった。面白かったので記しておこう。



さて、週末は久しぶりの二連休だったが、じゅうぶん鋭気を養えた気がする。
今の仕事は、二連休どころか日曜日も出勤しなければならない事が多い。
たまにこんな連休があればと、期待しながらの日々が、また始まった。


昨日から、再び夜の仕事の連続である。

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2008年06月04日 Posted by Le musicastre at 02:10Comments(0)上田

御屋敷公園 〜真田の庄1〜

東京から帰った翌日の日曜日。
家人のクラシックギターの修理の為、上田市真田町に行く。表面板の割れだ。後で詳しく調べてもらったところ、裏板にもひび割れが発見された。ギターはスペインのホセ・ラミレスで、四十年くらい前のものだ。
真田町には楽器の製作家がいて、有名なリューティストにも楽器を作っている。

以前、ここのサロン風な部屋で、楽器が出来上がったお披露目でコンサートが開かれた。リュートやヴィエラ、バロックギター、さらにはハーディーガーディまで、古楽のコンサートでも、こうしていっぺんには聴くことが出来ない音色を堪能出来た。

楽器の修理については、どの様な方法でするのか説明を受けたが、専門的な事はよくわからなかった。多少音が変わってしまう場合もあるが、割れた状態よりはいい。もう少し早くに修理に出すべきであった。

さて、真田町は真田氏の故郷である。せっかく来たのだから、真田氏の足跡を辿ろうと、『真田氏歴史館』に寄った。真田氏に関する名所はたくさんあって、この時間からは行くにしても時間が限られる。歴史館なら一ヶ所で概要は見てとれる。

真田氏歴史館の近くには『御屋敷公園』がある。真田氏が上田に城を構えるまでの住居だった場所だ。
入り口に設置された案内板が、来訪者を迎えてくれる。



すでに終わってしまったツツジは葉のみが青く茂り、ツツジ祭りか何かで備えられたボンボリは、ちょうど取り外す作業をしていた。ここはツツジの名所で知られていて、パンフレットによると、公園一帯には約六百株のツツジがあるという。



(満開だったら、さぞかし見事だろうな)と歩みを進める。
昌幸が上田に移転する時、この地が荒廃するのを憂い、神聖な場所として保存する為に建てた『皇太神宮』の隣の芝生では、数世帯の家族のグループがシートを広げていた。



時折、マレットゴルフのボールを打つ乾いた響きと歓声が聞こえてくる。
昨日の雨とはうって変わった青空の下は、野外のリクレーションには良い日和だ。

御屋敷公園の斜面の上の方に、真田氏歴史館がある。
真田氏の屋敷跡が公園として整備されたのは、NHKの大型時代劇『真田太平記』によるところが大きいだろう。
昌幸役の丹波哲郎始め、幸村役の草刈正雄、信之役の渡瀬恒彦は、彼ら本人が真田父子ではないかと思えるほどはまっていたし、女忍びのお江役の遥くららは素敵だった。
もし再放送やリメイク版が放送されれば必ず見たいドラマだ。もちろん原作の真田太平記が素晴らしいのは言うまでもない。

そのドラマで使われた、真田父子の鎧が目をひいた。ドラマでのものとはいえ、しっかりとした重みと風格がある。ドラマの為に本物を作ったって感じだ。この鎧をつけて、実際の合戦に行っても通用しそうだ。

展示物は書状などもある。最後の方に立派な花押があるのは、豊臣秀吉から真田昌幸に宛てられたものだ。残念ながら、何て書いてあるのかは、内容を示した案内がなかったのでわからないが、天正十三年のものらしい。
この年は、上田城築城の一〜二年後?で、上州沼田の件が尾を引いている時期だ。徳川による理不尽な沼田割譲が、昌幸が上田城をつくろうとした動機ではないかと思う。
上田城には真田氏の後に、先日小諸で大手門竣工式が行われたが、その大手門を建てた仙石秀久が入る。
仙石氏が入る際、真田氏は城を出ていく時、後の者に引き継ぐべき書類を全て焼き捨てたという。

その他、年表やジオラマを楽しんで、真田氏歴史館を後にした。(つづく)

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2008年06月02日 Posted by Le musicastre at 23:12Comments(0)上田

名も知らぬ 画学生の声 今聞こゆ 〜無言館の、声〜

一昨日、無言館で成人式が開かれたとテレビのニュースで知った。気が付いた時には、すでに次のニュースへと通り過ぎてしまったので、昨日の新聞を見直した。
マラソンの有森裕子さんを向かえ、県内外から応募で集まった28人が、同世代で亡くなった画学生の作品を鑑賞してから式に臨んだと記事はある。



僕はこの「無言館」へは、たびたび訪れている。しかしその度作品の展示が替わっているというわけではない。それは、そこに展示された作品の作者たちの「声」を、訴え掛けてくる声を、もう一度聞きたくなるからだ。

そこには、太平洋戦争で出征し、志半ばで戦地に散った画学生30余名、300余点の遺作、遺品が展示されている。
彼らは美術学校で芸術を志し、さまざまな芸術の分野で将来を嘱望されていた若者たちで、決して有名な画家ではない。将来を嘱望されてはいたが、悲惨な戦争と共に、無念の気持ちで埋もれていった彼らが、この「無言館」で初めて語りかける事が出来るのである。

愛する妻や恋人を描いた絵、一家の団欒を描いた絵。どんなに絆を大事にしていた事だろう。
出兵の前日まで描かれていた絵。どんなに時間が欲しかっただろう。
恋人の裸を描いた絵には、思わず心を奪われた。彼らが男女の契りを結んだかはわからない。戦争の時代、いくら愛し合う男女でも、異性の前で裸をさらす事はどんな気持ちだったのだろう。それを描く気持ちはどんなであっただろう。そこには、愛し合う男女が別れなければならない無念さと惜別が感じられ、涙が出た。この絵を描ききる事が、彼らの契りであったのかもしれない。

展示されているのは作品ばかりではない。
ガラス越しのケースの中に展示されているのは、スケッチや戦没画学生の写真、戦地から妻や子供へ送られた手紙や絵葉書、死亡通知や遺品の絵筆、パレットなど。それらには彼らの故郷に残されてきた人たちへの思いが溢れている。

僕は彼らの散っていった年齢を遥かに越えてしまったが、彼らの生きてきた人生の一歩にも及ばない…。

「無言館」の館長は、故水上勉氏の子、窪島誠一郎氏である。窪島氏は、昭和52年にNHKより刊行された野見山暁治画伯らの亡き画友への鎮魂録「祈りの画集・戦没画学生の記録」にうたれて「無言館」建設を思い立ったという。全国をめぐって戦没画学生の遺作を蒐め、また全国の画学生の遺族からの寄進や寄託をうけ、3000人以上の一般協力者からの芳志などに「無言館」が建てられた。


その日、「無言館」を出ると晴天の空の下だった。「無言館」のひんやりする空気は別世界に感じた。戦後生まれの僕にとっては、戦争は別世界の出来事である。しかし、その別世界へと旅立たせる場所が「無言館」にはある。戦争を知らない世代でも、はっきりと認識しなければならないと感じさせる場所だ。

(ここには、国の為に戦っていた人なんていやしない。家族や恋人の為に、生きて帰りたかったから戦ったんだ)
僕は車のドアを開ける前、もう一度、その「場所」を振り返ってみた。

無言館

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2008年05月06日 Posted by Le musicastre at 00:37Comments(0)上田

ささやかな 混浴夢見る 足湯かな 〜別所温泉〜

彼女に、「混浴しよっか?」と言ってみる。
「えっ?」っと驚き顔を赤らめる彼女。
「いいからいいから」と、明るい顔で彼女の手を引く。
戸惑いながらも、おそらく期待も入り混じりながらついて来る彼女。

「ほら、ここだよ」と僕は言う。
そこは開けっ広げな露天。
僕はさっそく脱ぎ始める。
なかなか脱げないでいる彼女…。  続きを読む

2008年05月02日 Posted by Le musicastre at 01:14Comments(0)上田

赤備え 紅葉のように 山染める 〜真田まつり〜

見渡せば、薄く霞みかかっている風景は春らしく、今日は良く晴れていた。
所用で西に向けて走る国道は、所々名残桜が咲いている。ひっきりなしに行き交う車が擦れ違う度、道に広がった花弁が舞う。
(真田まつりは毎年この時期だっけ)と思い、携帯のWebで日程を確認してみる。
(帰りに立ち寄ってみよう)と決め、車を国道から県道へと向けた。
田中辺りから新しい道が拓いてから、塩田平への時間はかなり短縮された。今までは、上田市街を通るしかなかったのである。

訪れた上田城跡は、二週間前のピンクの風景から新緑の風景へと変わっていて、季節の移ろいを感じる。真田まつりの為か、多くの人々で混み合っていた。アスファルトから陽炎が上るくらい陽気も良く、中には半袖姿の人たちもいる。
城跡内を散策していると、遠くから太鼓の音が聞こえてきた。Webの情報では、上田城跡公園に隣接する陸上競技場で、真田まつりのオープニングが行われているらしい。僕はそちらへと足を向けてみた。

陸上競技場では、ちょうど『房山獅子』の舞いが行われているところだった。
『房山獅子』という名前は、『真田まつり』のチラシに書かれていたから知ったまでで、はたしてどういった謂われがあるからわからない。横笛のゆったりとした音曲に合わせて、獅子頭を着けた数人の大人と子供が舞っていた。
緩やかに、スローなテンポで舞う踊りに、昔は何ともゆったりとした時間が流れていた事を知る。
西洋音楽に馴らされた耳は、日本音楽の終止形がわからず、果てしなく続くように思えた。しかし、この緩い時間の中に暫く浸かっていたい気がした。

獅子舞が終わると、『信州真田鉄砲隊』の演武が行われた。
僕は上田に数年住んだ頃、真田まつりを見ているが、それは行列だけで、こういったイベントを見るのは初めてだ。もちろん鉄砲演武を見るのもそうだ。
鉄砲隊演武は、数々の鉄砲の撃ち方を演技するもので、その都度、白煙が起ち大音響が轟いた。
関ヶ原の合戦の時、なかなか決断のつかない小早川秀秋の陣に向けて、徳川家康が鉄砲を撃ち掛けたというが、それは玉が届く事よりも音で驚かせて決意を促したんだろうと、そんな事をふと思った。



鉄砲隊演武が終わると、霧隠才蔵と猿飛佐助、服部半蔵に扮した寸劇が行われ、いよいよ真田軍の出陣である。
このちょっと滑稽な寸劇は、真田軍が徳川の大群を撃ち破った二度の上田合戦を模したものだ。
僕は戦国武将の中でも真田が好きで(それは僕が数年上田に住んだ親しみからだろうが、一般的に真田は人気があるようだ)、真田に関する色んな本を読んだが、やはり二度の上田合戦の場面はワクワクする。



真田軍の出陣は、幸隆隊から始まった。昨年のNHKの大河ドラマ『風林火山』では佐々木蔵の介が好演していた。同じく『武田信玄』では橋爪巧が老獪さを上手く出していて良かった。
僕が最も印象に残っているのが、大河ドラマの枠でなく放映された『真田太平記』だ。老獪さと言えば、丹波哲郎の昌幸はハマっていたし、草刈正雄の幸村は良かった。僕の中では幸村のイメージは草刈というのが定着してしまった。

  

隊列は幸隆、昌幸、幸村と続くが、ここに信之がいないのが残念だ。どうしても、真田というのは合戦で活躍した昌幸、幸村に注目が集まるが、何と言っても、徳川を二度も撃退しはむかっっていた真田家が、徳川幕府の中で明治まで続く礎を作った人だ。罪人の父と弟を持ち、おそらく肩身の狭い思いをする筈だろうに、それなりの地位(十万石)を保ってきた努力が凄いと思うからだ。



行列は上田城跡の堀を一周して、櫓門から上田市街に出て行く。堀の緑の中に、鮮やかな真田の赤が列を作って行く。
真田の赤備えは、合戦の中でも目立っただろう。
『日本一の兵(つわもの)』の魂が、新緑の中にあったような気がした。

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2008年04月30日 Posted by Le musicastre at 00:31Comments(5)上田

城跡に 桜満開 花絵巻 〜上田城址公園〜

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上田に所用のついでに、前日テレビで上田城址公園の桜が見頃だと紹介されていたので、寄ってみた。
生憎、小雨がぱらついていたが、傘をさすほどではない。公園は多くの花見客で賑わっていた。

僕は城址の下にある観光駐車場から園内に上ったが(観光駐車場では上田原合戦太鼓の演奏が行われていて、勇壮な太鼓の音に迎えられた)、上田城址公園を正面から入ると、まず目につくのは櫓門にある垂れ桜だ。公園の中で、一番早く満開になるこの桜のある場所は、どの人も必ず写真に納めるフォトスポットになっている。確かにこの垂れ桜は、櫓と堀の水面を背景にして、絶好の撮影場所である。



堀を取り囲むように咲く桜は、どの場所で写真に納めても絵になる。
その桜を眺めながら、堀沿いを散策するのは、絵巻物を、次の情景を期待するようにほどいていくようだ。その堀沿いには、観光客各々が思い思いの、ここはと思う場所でカメラを構えていた。
その中で、僕がお気に入りの写真撮影ポイントは、観光駐車場から急な坂を上りきった所の、堀の桜だ。桜が堀の水面に映り、趣がある。

上田城は真田昌幸によって築かれたが、真田が在住していた期間は短い。真田のあと、仙石、松平と続くが、こちらの方が長い。それでも真田の城だと親しまれる。それは昌幸によって築かれたこと、徳川の大軍を二度も撃退したこと、真田幸村の大阪の陣での活躍があったからだろう。
戦国時代、合戦の度、焼き討ちの炎や、討ち取られた者たちの血で朱色に染まったであろう城は、今は桜色で染まっている。合戦に備え戦闘目的に築かれた城は、四百年の歴史を経て、平和な観光目的の城となる。櫓門の中は資料が展示されていて、そういった歴史を垣間見ることが出来た。



長野県は南北に長く、標高差もあり、長く桜が楽しめる。上田から僅か20キロ離れた小諸の桜はまだ蕾だ。
(来週辺りは見頃だろうか)
懐古園という、桜と歴史の絵巻物に出会えることを期待して、上田城を後にした。
上田城桜絵巻は、また来年紐解くことが出来るだろう。お気に入りが何回も何回も眺めても、その都度新しい喜びに浸れるように。

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2008年04月13日 Posted by Le musicastre at 23:00Comments(0)上田