灯明の 光導く 石畳 〜長野灯明まつり1〜

Le musicastre

2009年02月13日 00:55

休日と言えば、家でゴロゴロしてるばかりなので、
(これじゃいかんな、よし)と思い立って、長野市まで出掛ける事にした。
今月の15日まで善光寺で『第六回長野灯明まつり』が開かれているのだ。
長野オリンピックを記念したイベントとして始まって、今年で六年目。ニュースでも模様を中継したり、善光寺のビッグイベントとして定着したようだ。
それほど大きなイベントだが、実のところ僕は行った事がなかった。仕事は不規則で時間が曖昧で、予定を立てて行くというのも無理があるのだ。まぁ一番は、この時期寒いし、「動くズクがない」っていうのが本当のところだ。
かえって「思い立ったら」って場合の方が行動出来る事も多い。
僕はライトアップが始まる時間に合わせて、家を出た。

夕闇が迫る頃、善光寺へと向かう大通りの途中に出る。
『灯り絵常夜灯』と呼ばれる灯籠が並べられた通りに出る。灯籠にはちぎり絵が貼られ、浮かび上がる絵柄と灯りを楽しむイベントだ。それぞれの灯籠のちぎり絵は応募によるもので、今年は、『平和〜本当に大切なもの〜』をテーマとし、応募者の平和への思いがデザインされているという。
灯籠はまだ火が入る前だった。




夕闇に ライトアップ待つ 善光寺


僕は本堂までの参道を行く。
まだライトアップされていないが、かなりの人出だ。
19時半から始まる上妻宏光の三味線演奏会の音合わせをやっている、恐らく本人の姿を見ながら、本堂に上る階段を行きお参りをする。
(大河ドラマの…)音合わせを聴きながら、一昨年の大河ドラマ「風林火山」を思い起こした。

行くと必ずその身体に触れ撫でてくるびんずるさんは不在だった。
撫でると病気や怪我が治る功徳があると言い伝えられているが、撫でられ過ぎて、我々衆生の為に、それこそ「身を磨り減らされて」、治療に出ていたのである。びんずるさんの写真が代わりを務めていた。

因みにびんずるとは十六羅漢のひとりで、賓頭盧尊者と言う難しい漢字の名前だ。詳しくはネットで調べられるので省略しよう。
僕の場合撫でるのは、若い女性のお尻が…、いやいや今はびんずるさんの話だ。僕の場合は頭と顔だ。それでもいっこうに良くならないのは、きっとびんずるさんに諦められているのだろう。それでも写真を撫でてもご利益があるに違いないと撫でてきたが、
「おいおい、しつこいな」と苦笑いされているかもしれない。

本堂の賽銭箱に、ポケットの小銭を投げ込んで手を合わせたが、すでに布引観音での初詣で願い事は済んでいる。そこでの願い事の念を押しておいた。
お参りを終え、ひとまず灯り絵常夜灯が並べられている通りに引き返す事にした。

(つづく)

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